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阪神間 2018 (4)冬の芦屋 [日本の町散歩(近畿)]

さて、春、夏、秋と阪神間のステキ町をめぐってきたが、最後の大トリを飾るべきはもちろん、芦屋であろう。日本一の高級住宅街であるのはもちろんだが、芦屋の魅力は、ここが単なる住宅街ではなく、地元の人々の日常が生み出す街的なストリートをあちこちに抱えている点であろう。その雰囲気は単にオシャレやハイソなどと表現できる生易しいものではなく、一般庶民の日常世界をキッパリ突き放してしまったようなところがどこかにあって、よそ者を面食らわせるがしかし、・・・それでも背伸びをしながら歩いていると、しだいに鏡の向こうの異世界を歩くような、不思議な浮遊感が湧いてきて、コキゲンな気持ちになれるのだ。
芦屋川の桜が咲き乱れる春も良いが、芦屋がもつ街的な審美性がもっとも際立つのは、余計なもののない冬という時期ではないだろうか。・・・そう思って最後にとっておいた街歩きを、皆さんも楽しんで頂きたい。

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阪神間 2018 (3)秋の御影・住吉 [日本の町散歩(近畿)]

阪神間という地域のルーツはもちろん、大正時代から昭和初期にかけて邸宅街として発展した歴史にあるが、その頃の古き良き「残り香」を最も感じさせるのが、阪急電車の御影(みかげ)駅の周辺から住吉川にかけてのエリアであろう。谷崎潤一郎の邸宅があったことでも知られ、豪壮な「御影石」の石垣に囲まれたお屋敷や美術館が点在するこの地域は、当時のモダニズムを色濃く残しながらも、どちらかと言えば「和」情緒をより強く感じさせる。
いまや「お屋敷」の多くは取り壊され、その跡地は巨大なマンションや分譲住宅がいくつも並ぶ光景へと変わったが、それが元あった邸宅敷地のとてつもない広さを物語っているわけで、実はいまよりもずっと豊かだったこの地の人々の、当時の充実した暮らしぶりが、そこはかとなく偲ばれるのである。

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日野 2018 [日本の町散歩(近畿)]

日野もまた近江商人のふるさととなった町のひとつ。「日野の千両店(せんりょうだな)」と言われる通り、ここの人々はとりわけ日本各地に多店舗展開し、流通網を作り上げる術に長けていたと言われる。土地の恵を生かした漢方医薬と木工品(椀)を二大看板に、全国を股にかけて渡り歩いた日野商人たちの故郷は、いまは鈴鹿山麓の里山のただ中にある、ちいさな町に過ぎない。
しかしこの町の家並みが持つ、まれに見る品の良さはどうだろう。質素倹約を重んじた近江商人であるから、決して華美な家並みでないのは分かるが、それだけではない。日野の町を歩けば、近江八幡や五個荘とも違う、教養や文化的な豊かさを内に秘めた、ゆとりのようなものが感じられるのである。その雰囲気はどことなく、信州の小布施を思い出させる。
そういえば日野もまた、平成の大合併の風潮の中で、誇り高く独立を守っている数少ない町のひとつなのである。

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阪神間 2018 (2)夏の岡本・本山 [日本の町散歩(近畿)]

阪神間のステキな街々をめぐる旅の第2弾は、若者の多い街、岡本~摂津本山である。阪神間には、神戸大学や関西学院大学を始めとして多くの大学キャンパスがあるが、中でも甲南大学、甲南女子大学、神戸薬科大学があるこの岡本周辺は、多くの若者が闊歩する街としてよく知られている。学生街といっても、安い定食屋やチェーン店、アパートがひしめいている場所ではない。個性豊かな雑貨屋やカフェが点在する、むしろ垢抜けた一帯で、石畳の坂道をゆく女子大生達のファッションを眺めているだけでも、目が覚めるような心地がする。地域住民のグループが結束して行っている独自の看板規制運動等でも注目されており、だからなのか、チェーン系のカフェであっても安っぽさとは無縁で、街に溶け込んで洒落て見えるのが面白い。
かつては梅林が広がることで知られた地域だけに、すこし駅を離れると、すぐに六甲山に抱かれた静かな住宅街になるのも好印象だ。豪邸の並ぶ芦屋や夙川等と比べれば、人懐っこい緑豊かな細い路地が、斜面に沿ってうねうねと続いている。

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阪神間 2018 (1)春の夙川・苦楽園口 [日本の町散歩(近畿)]

阪神間といわれて、他地方の人ならタイガースや工場地帯を連想してしまうかもしれないが、ここでは西宮市から神戸市東部にかけて、六甲山麓に連なる郊外住宅エリアを指す。すなわち、武庫川、西宮、夙川、芦屋、岡本、御影、六甲等の一帯である。この地域について、全国的に通用する気の利いた呼び名が無いことが惜しいが、それというのもここが、日本で最も住環境に恵まれ、文化的にも豊かで、かつ洗練された都市生活が繰り広げられている地域だからである。そんなことを書くと東京あたりの人は鼻白むかもしれないが、残念ながら田園調布や成城などの首都圏の高級住宅地は、規模や品格、それに街としての魅力の点でも阪神間に遠く及ばないし、広尾~白金一帯や松涛~代官山あたりのアップタウンは素敵だが、残念ながら六甲に抱かれ海を前にした阪神間のような自然環境の魅力はない。
2018年度はこの阪神間のキラ星のような街々の中から、四季に応じて四つの地域を選び、撮り歩こうと思う。「こんな場所に住みたい」と思う気持ちは若い頃に比べて薄れたが、この地域の成熟したアイデンティティを、関西人としてもっと多くの人に知ってもらいたい気持ちは依然強い。
第1回は、阪神間でも私が最も好きなエリア「夙川」「苦楽園口」を取り上げる。

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城崎 2018 [日本の町散歩(近畿)]

城崎こそは日本を代表する「温泉街」である。昔ながらの、絵に描いたような温泉情緒を、これほど楽しませてくれる場所もいまや珍しいのではないだろうか。
この街では昔から、宿の内湯はおまけに過ぎない。大谿川に沿って7つある外湯こそが城崎の本懐。それをめぐろうと、老いも若きも、ニホンジンもガイジンも、みんな町を練り歩き、道中で買い食いやゲームやショッピングに興じる。雨の日も、雪の日でもそれは変わらないのだ。
雪降る湯の街情緒もよかろうかと云いつつ、本当はカニを目当てに40歳を越えて初めて来た城崎。街をそぞろ歩く客の多くが若者であることに驚く。カップルはもちろん、OLや大学生らしき女性グループ。男性ばかりの若者グループが多いのも今ふうか。沿道に並ぶ店にも、ビアバーやパティスリーなど今風のしゃれた店が目立つ。
時代が移ろいゆく中でも、やっぱり日本人の温泉好き、そして和情緒好きのDNAは変わらないのだと改めて思う。今回はそんな喧騒をときに避けつつ、ときに交わりつつ、城崎という町の表情を追ってみた。

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信楽 2017 [日本の町散歩(近畿)]

信楽は言うまでもなく、奈良時代から連綿と続くやきものの里である。笠をかぶり、徳利と通帳を持ったタヌキの置物が有名だが、それだけではなく、温かみのある火色を特色として、この地のやきものは多種多様の発展を遂げてきた。生活に根付いた甕、傘立て、火鉢といった大物の生産では全国トップシェアを守ってきたし、食器や人形などの小物でも個性的なものづくりが行われている。また、茶器、花器等で京文化の一端を担ってきたという側面も見逃せない。山あいの小さな町をめぐれば、方々から聞こえるろくろの音、立ち上る焼成のけむり。道端には製品、作品が無造作に積まれたりしていて、まさに町じゅうが製陶一色という感じだ。関東の益子のように道路沿いにずらり並んだショップに買い物客がつめかけ・・ということはないが、そのかわりに、あちこちに散らばっている窯元までじっさいに訪ねて歩いて回れるのが信楽の良さ。多くの窯元はギャラリー、ショップ、カフェ等を併設していて気軽に入っていけるし、製作現場の見学ができるところも多い。製作者本人と話しながら品定めができるなんて、最高ではないか。歩いていると埋もれかけた古い登り窯を発見したりもして、なかなか楽しい。

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篠山 2016-2017 [日本の町散歩(近畿)]

秋のひと日、丹波篠山(ささやま)の街を訪ねると、「日本の田舎に元気がない」などという言説は嘘だったんだと、嬉しくなる。通りをそぞろ歩く、人の数のなんと多いことか! 人々のお目当ては、枝豆、黒豆、栗、松茸、そして、山の芋。冬になれば解禁される名物の「ぼたん鍋」(猪肉鍋)。。。こうした丹波の里山がもたらす食の恵みが、この町に豊かさとに賑わいをもたらしている。通りを見渡しても、シャッターを下ろしている店はほとんどない。昔ながらの大衆食堂、呉服屋、履物屋、果物屋、玩具屋・・・いずれも現役で軒を並べている。
それだけではない。古い町並みを残す河原町地区を中心に、おしゃれで個性的なお店が続々と誕生している。カフェ、雑貨屋、ベーカリー、ワインショップ、ゲストハウス等、いずれも外部からやって来た人々によるものだが、こうした動きが連続するのは、移住者の新規開業を容易にするスキームを作り上げた地元の仕掛人(オジサン達)がいるからだ。
新旧入り混じった魅力のつまった篠山の町。今後の地方都市の行き方のひとつのモデルを示す、貴重な例といえよう。

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近江八幡 2017 [日本の町散歩(近畿)]

近江八幡もまた悠揚たる町である。琵琶湖のほとりに位置する戦国期以来の城下町は、長浜のような今ふうの町おこしからはやや縁遠いが、大坂や江戸で活躍した近江商人を数多く輩出してきた町のひとつであり、歴史的に潤沢な資金の還流があったのだろう、十分に拡張、近代化された都市的風貌を備えている。そんな中、築城とともに引かれた琵琶湖からの水路と条理制の古い街並みが、今も静かなたたずまいを昔のままに残しているのが素晴らしい。また、建築家W.M.ヴォーリズが愛し、その活動拠点としたのもこの街であり、その遺産である数々の洋風建築やメンソレータムで有名な近江兄弟社(ヴォーリズが設立)も見所のひとつだし、新しいところでは今や全国に熱烈なファンを持つ菓子会社「たねや」「クラブハリエ」を生んだ町としての魅力もある。
こうした歴史の積み重ねが、町に独特の空気の余裕を生んでいる。それは時流に左右されず、長期的視野に立った調和や合理性を重んずるという、地道で飾らない真の商業精神のひとつの結晶ではないかと思われる。

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神戸 2017 (4) 神戸駅からハーバーランド、そして新開地方面へ [日本の町散歩(近畿)]

三宮よりはるかに地味だが、神戸には神戸駅もある。そして新開地から湊川、東山商店街に至る比較的大きな商業集積が、その近くにある。今は「B面の神戸」等と言われ、観光でもあまり取り上げられないこの商店街こそ、戦前は神戸の中心と云われた大繁華街だったエリア。そもそも神戸という町がなかった頃、この辺りには兵庫の港があるきりだった。近代になって、布引の滝の下に外国人向けの神戸の港と街が造られ、鉄道が敷かれた時、「神戸駅」は折衷案で旧来の兵庫地区と新興の神戸地区の中間に設置されたのだという。そしてやはり兵庫と神戸の中間の新開地・湊川地区に、庶民が集まるようになった。
しかし昭和以降、神戸港の勃興とともに繁華街の比重はより神戸側へ、つまり東へ移動してゆき、元町、そして高度成長前夜の頃から完全に三宮へと移った。いまは残照のようにレトロな趣きを湛えるエリアとなったが、アートヴィレッジセンターが出来たり、洒落たゲートモニュメントがあったりと新しい動きもあって、湿っぽくはならないのが神戸流。なによりも、神戸人の台所といわれる東山商店街の賑わいは、いまもピカ一。南に造成されたハーバーランドも、成績はいまひとつと言われながらも、風景としては定着してきている。

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神戸 2017 (3) 北野界隈 [日本の町散歩(近畿)]

キネマの月が巷に昇る春の夜、稲垣足穂が友人とたどった「カラクリのような小路」は、北野の小路であったろう。外国人たちの居留地だった戦前、戦後の頃まで、北野には200棟以上の洋館があった。スミレのような西洋の少女が行き交った時代はすぎて外国人達は北野を去り、神戸を去り、洋館は朽ちていった。残された30の洋館は、ほとんどが観光用に変化してしまった。
1980年代から90年代、北野は格好のデートコースとなり、オシャレな店がたくさん出来た。山本通りはスポーツカーに乗った若いカップルで鈴なりだったという。しかし、そんな時代を象徴する名店ジャン・ムーランも、ジャック・メイヨールも、今はない。
すっかり落ち着いた今の北野。それでも通りを歩けば外国の血が混じった子供達とすれ違うし、北野坂や山本通りは、やはり眼も覚めるように垢抜けている。ちょっと大きめの家だと思うと、中国人や西洋人の表札がかかっていたりする。修復の進んだ「異人館」を巡るのも良いが、その裏に隠れている路地を抜けて外国人たちによって彩られた北野の歴史に思いを馳せたりする。またこれからが楽しみな、北野である。

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神戸 2017 (2)元町駅から旧居留地、メリケンパーク方面へ [日本の町散歩(近畿)]

三宮を神戸の表の顔というなら、元町界隈は神戸そのものといっていい。開港以来の目抜き通りである元町商店街周辺には風月堂、ユーハイム、ファミリア等名だたる神戸ブランドの本店がいまも軒を連ねているし、欧米系外国人たちのオフィス街であった旧居留地は、一時さびれていたが、クラシックビルの修復や再利用が進み、いまや山手の北野を凌ぐ観光地ともなっている。南京町から栄町通り、そして乙仲通りに至る界隈は、かつて怪しげな零細貿易会社や船員バーがひしめく、最も神戸らしいエリアだった場所。いまは所々に面影を残すだけだが、そのかわりに、小さくても個性的で垢抜けた、神戸らしい雑貨屋や服飾店があちこちに入るようになった。150年前の開港以来、港を通して様々なものを取り入れ、堆積してきた神戸という町のフィルターの役目を果たしたのはこの元町であり、そのしたたるばかりのエッセンスが、今も元町界隈にはたっぷりと残されているのだ。・・・うんちくはそれくらいにして、元町駅からさあ、歩き出そう。

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神戸 2017 (1)三宮駅からトアロード、花隈方面へ [日本の町散歩(近畿)]

大阪近郊に生まれ育った者として、どうしても神戸という町には憧れの感情がある。大阪、奈良、京都は地元と言える私だが、こと神戸にだけは拒否され続けてきた。かつて神戸の学校を受験したが不合格をくらい、神戸の女性に告白したがフられ、神戸の露店で並んだが私の目の前で品切れとなった。そんな私がこの度、ようやく神戸に関わりを持つことができた。東京から関西に戻った際に得た職場が、神戸のホテルだったのだ。私はフロントマンとして一躍、神戸について語り、案内する立場となった。
久しぶりに見る神戸。食べ物はバラエティに富んで美味しく、女の子はやはり洒落ている。そもそも服装の色使いが違う。電車に乗っていても、京都あたりでは緑や茶色のくすんだ色の服を着た地味な娘ばかり。おかげで、春だというのに車内の空気もどんよりしているが、神戸に近づくにつれて、水色やらレモンイエローやらといったキレイな色遣いをうまく取り入れたカワイコちゃんたちが増え、車内は溌溂として行く。
そんな神戸の町を、よそものの私はやはり素敵だと思うし、歩けばやはり浮き浮きとした気持ちになる。今回から4回に渡って、そんな神戸の町歩きの記録を公開させて頂こうと思う。

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長浜 2017 [日本の町散歩(近畿)]

琵琶湖の北東湖畔に位置する長浜は、「街おこし」の成功例のひとつとして名高い。年間の観光客は200万とも300万とも言われる。火付け役となったのは、1988年に設立された第三セクター「黒壁」である。当時、閉鎖された旧百三十銀行の歴史ある建物が取り壊されることとなり、これに危機感を覚えた市役所職員が、地元の民間企業の経営者達に建物の買取と再生事業の開始をもちかけたのだ。彼らは一致団結してお金を出し合い、建物を買い取って保存。その再生にあたって、長浜に新しい産業として「ガラス製作」を取り入れて観光の柱とすることにしたのである。
それは実現した。観光バスが次々とやってきて、降りてきた人々はガラス工房を見学した後、街をぐるりと一周して帰るようになった。一時はシャッターばかりになったさびれた商店街にも、観光客目当ての新しいお店が次々に出店するようになった。

それから30年近くが経った2017年、遅ればせながら私も長浜を歩いてみた。当時の熱気は薄れつつあるとも言われる中の訪問であったが、中高年層のみならず若い女性やカップルが連れ立って古い町並みを散策している。ガラスショップの他にもスタイリッシュな雑貨店やカフェ、レストランが町のあちこちにある長浜の様子は興味深いものであった。

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龍野 2015 [日本の町散歩(近畿)]

「夕焼け小焼けの赤とんぼ、負われて見たのはいつの日か・・・♪」とは誰もが知っている童謡である。作詞者である三木露風は、赤とんぼが舞い飛ぶ、風光豊かな故郷で過ごした幼少期への思慕の念をこの歌に託したという。そしてその三木露風の故郷が、この播州龍野の街である。
清流として知られる揖保川がゆるやかに流れる傍ら、小高い丘に抱かれた小さな城下町は、いまも「赤とんぼの故郷」と云いたくなるような古い城跡と町並みを残し、静かな詩情に包まれている。
しかし、この町においてそれ以上に特筆すべきことは、ここが「淡口(うすくち)醬油」やそうめんの「揖保の糸」といった全国区の名産品やブランドを生み出し、産業化に成功した町であるという点である。うすくちしょうゆの一見はんなり、実はシッカリという味わいの妙は、そのまま龍野という街の特性なのかもしれない。

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湯浅 2015 [日本の町散歩(近畿)]

わたしは、日本の良さを残す町並みを求めてあちこち小さな町に出掛けているが、この湯浅ほど居心地が良く、その雰囲気にどっぷり浸かってみたくなるところは初めてである。伝統的な町並みが良く残っているという点なら、他にも右に出る場所はたくさんあろう。しかしそんな無理やり保存されたような町並みは、現代の市民生活から浮いてしまってテーマパーク然とし、町としては生きている感じがしないことも多い。
湯浅もずいぶん寂しくなったと言うけれど、駅を降りて町を歩くと、自転車に乗った危なっかしいジイサンが通りを横切り、ランドセルをしょった子供達が路地を駈けていく。道を尋ねれば人々は穏やかで優しく、品がある。そして、どこからともなく漂ってくる、醬油のもろみの香り。。。いたずらに古い町並みを強調されているわけではなく、伝建地区には町の一部が指定されているだけ。そこでさえも、電柱の地中化すらされていない。町には江戸から昭和にかけての街の歴史の積み重ねが、ありのままの姿で残されている。それがなぜか、とても好ましいことのように思えてくる。
町そのもののが持つ香気がほんのり立ち昇る、こんな町の息吹の中にただ抱かれて、どこも行かず何もせず何日かぼーっとしてみるのもまた、ニッポンの良きリゾートかもしれないと思う。

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加太 2015 [日本の町散歩(近畿)]

加太(かだ)といっても、全国的には知る人は少ない。しかし、大阪から湾岸沿いに南下し、紀淡海峡に突き出した岬を越えて南紀側、黒潮の流れる太平洋側に出たところにある小さな漁港町であるというと、ピンとくる人はいるのではないか。そう、地形条件からしても、加太は関西でも指折りの、美味い魚が釣れ、そして食える町なのである。とくに、年間を通して獲れる天然真鯛の美味さは全国屈指と云われるほどなのだが、いかんせん関西人からしても、地味な場所という印象は拭えない。関東には、マグロ料理で賑わう三崎があるし、湘南から三浦にかけても生シラスを求めて行列のできる腰越や小坪といった場所がある。加太は大阪からも近い立地にあり、みさき公園あたりから加太にかけての半島部分なんか、逗子~葉山あたりの感じに似ていないかしら・・・・、加太が関東の三崎や葉山みたいになればいいなあ・・等と思いながら、改めてじっくり街を歩いてみることにした。

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苦楽園口 2008 [日本の町散歩(近畿)]

「東京の広尾や代官山のようなアップタウンが、大阪には無い」などという向きには、是非あなた、阪神間を歩いてみなはれと云いたい。大阪の上澄みは、この六甲のふもとの街々にたっぷりと残されているのだから。この地域を、神戸の一部のように考えるのは誤り。もともとは大阪に根を張る人間が移り住んだ場所だから、経済的にも文化的にも、ミナト神戸とは別物である。西宮市域の気さくで明るい雰囲気にしろ、芦屋市域の豪奢な雰囲気にしろ、いずれも神戸ではなく大阪的なるものの延長のように私は思う。
そんな町の中でも、私の一等お気に入りは「苦楽園口(くらくえんぐち)」。遠方の方は聞き慣れない名前かもしれないが、苦楽園という丘の上の高級住宅地のふもとにある駅の名で、その駅周辺にお店が集まっている。しゃれた店が続く中で、昔ながらの店構えを守るそば屋や本屋などもしっかり残っていて、肩肘張ったところがないのがいい。川べりの並木道でぼーっとすることも出来て、こんな街に住めたら、ぜったい自慢するだろうなと思う。

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奈良 2003 [日本の町散歩(近畿)]

奈良市は、私が12歳から18歳までの思春期を過ごした地である。その頃の私は筋金入りの鉄道少年で、地元を走る近鉄電車の撮影のため、大和盆地を東奔西走したものである。おかげで近鉄電車が通る西の京や斑鳩といった奈良郊外の美しい大和路の風景は、今も私の心の中にセピア色のままに、いつまでも忘れがたく焼き付いている。しかし、その大和盆地の北端にある奈良の町そのものは、若い私にはいかにも古臭く、錆びついて見え、魅力を感じることがなかった。若草山のふもと、興福寺や東大寺のおひざ元に小じんまりとまとまった今の奈良の町は、歴史の町とはいうものの、あの有名な平城京、つまり、名にし負う奈良の都とは場所も異なり、別のものなのである。
とはいえ、社会人も3年目となって気持ちも落ち着き、久しぶりに写真趣味を再開した2003年秋、ふらりと足を向けたのは、かつて嫌っていた奈良の街であった。そこでは相も変わらず昔ながらの路地と暮らしが息づいていたが、私も少しは大人になったのか、あの頃より少しだけ好ましく思えた。
今も私の実家は奈良市にある。

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大宇陀 2004 [日本の町散歩(近畿)]

大宇陀とは、どことなく遥けき響きのする、大和らしい地名であると思う。古代より「阿騎野」の名で呼ばれ、万葉のころには柿本人麻呂が「ひむがしの 野にかぎろひの 立つ見えて・・」と詠んだと伝えられる、大和でも山また山の向こうにある、そこは小さな盆地の町である。戦国以降は宇陀松山城が築かれ、江戸時代には街道沿いの城下町としても栄えたらしい。
宇田川に沿ったこの町には鉄道がない。大和盆地からは近鉄電車で山に分け入り、いくつも山越えをしたところにある榛原駅より、さらにバスで山道をたどり、ようやく到着となる。
私はかねてからこの地を訪ねてみたいと思っていたが、写真を再開した社会人3年目、バイクの免許を取ったのを契機に、念願であったこの山中の小さな城下町を訪ねてみた。

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舞子~淡路島~加太 2005~2006 [日本の町散歩(近畿)]

私がバイクの免許を取ったのは2003年、すでに26歳になっていた。京都在住だった当時の主なライディングエリアは京都北山だったが、ときどきふと海が見たくなって海岸までひた走った。大阪湾というと良いイメージを持つ向きは少ないかもしれないが、それでも少し足を延ばせば日ごろのストレスをきれいさっぱり洗い流してくれる、清々しい大阪湾ブルーを堪能することができた。中でも、神戸からさらに西、須磨を過ぎて舞子あたりの景色と、大阪市内からひたすら南下し、和歌山県境あたりの加太の海が、私のお気に入りだった。
ここでは、そうした何度かの海岸めぐりの際に撮影した数点を並べてみる。明石海峡大橋を使って淡路島に渡ったのはただ一度きり。今思うと、もっと巡っておけばよかったと思う。

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須磨から舞子、明石あたりは関西の湘南だ


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大阪(飛田) 2007 [日本の町散歩(近畿)]

大阪には異界のような場所がいくつかあるが、その最たる場所とも言えるのが、この飛田(飛田新地)であろう。日本屈指の超高層ビル「あべのハルカス」からほど近い窪地に、その町はある。
ここ、飛田の街は江戸の昔からの、由緒正しい遊郭街。 建前上は、みな料亭で店はそれぞれ、風流な屋号を名乗っているが、しかし、精力剤や避妊具が公然と並ぶ自動販売機等をみれば、この地域の実態がいかなるものかは、誰にも理解できるだろう。そう、ここ飛田は、警察も手を出せない、れっきとした現役の赤線なのだ。

夜ともなると、春をひさぐ女性達が、ライトを浴び、綺麗な衣装を羽織ってお店の玄関に座っている。客引きはおかみさんの仕事。女性達は、一言も言わず、ただ艶めかしく座り、ほほえんでいるだけである。
そんな女性たちは、私には決してうらぶれた感じには見えなかった。むしろその中の数人は、まるで天女のように神々しく見えた。

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大阪(ミナミ) 2007-8 [日本の町散歩(近畿)]

大阪、ミナミは幼少のころより私のホームグラウンドであるはずだが、撮影点数はほんのわずかであり、しかもそれらはミナミの何物をも表すものではない。私にとって、ミナミを撮影し表現するということへの勇気はいまだ持ち得ていないし、それができれば私の中で何かが変わるかもしれないという思いもある。ともあれ、ミナミあたりで撮影した写真をとりあえずここで集めている。
一口にミナミと言っても、南船場、心斎橋、アメリカ村、道頓堀、千日前、難波、日本橋、島之内等、様々なエリアによって個性や客層が異なり、それぞれが隣接しともすれば融合している部分もあるというのがミナミという街の面白さであり、たとえば銀座、渋谷、新宿、青山等と街々の個性が明確な分、一つの街々の中では比較的均質であるという東京のパターンとは異なっている。また同じ心斎橋あたりであっても、たとえば鰻谷と周防町ではまた異なるなど、つぶさに見ていくと研究対象としてもかなり面白いものであろうと思ったりもする。

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大阪(空堀) 2007 [日本の町散歩(近畿)]

空堀(からほり)は、大阪市のほぼ中心部に位置するエアポケットのような地域である。周囲を高層ビルのビジネス街やネオンきらめく繁華街に囲まれていながら、この地域だけは昔ながらの長屋や蔵、路地などが残り、全長800メートルの空堀商店街を中心に、どこかほっとできる特別な空間を維持している。
数年前までは、よそ者には全くといっていいほど知られておらず、観光ガイドブックなどで紹介されることもないような地味な街という印象であったが、「むかし町」が若い女性にも人気の昨今では、もともと存在した老舗の塩昆布屋やお好み焼き屋に行列ができるのみならず、空き家を利用して続々とイタリアンレストランやらチョコレート屋やらラジオ局やらが入り込み、長屋巡りをする若者たちもいて、街に新たな息吹をもたらしている。それでも、空堀には高層ビルやマンションが立つこともなく、独特のゆるい雰囲気を保ちながら、街は静かに時を紡いでいる。

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大阪(平野郷) 2007-08 [日本の町散歩(近畿)]

大阪第三のターミナル、天王寺(阿倍野)からJR線で2駅、地下鉄なら5駅で、平野(ひらの)という駅に到着する。ここは、中世には大坂から独立した自治都市「平野郷(ひらのごう)」として、堺と並び称されたほどの、立派な由来を持つ土地である。戦国時代には、集落の周りに環濠を巡らせ、徳川や豊臣による武力制圧に対し敢然と立ち向かったそうだ。
いまは大阪市に取り込まれ、環濠もほとんど埋め立てられてしまっているが、その旧市街を歩けば、古い区割、商家、寺院などがいくつも残り、修景も進んで歴史的な自治都市の面影を十分に感じることができる。それでだけではない。平野の街の面白さは、今なお生きる自治都市の気風そのものである。その象徴とも言えるのが、「まちぐるみ博物館」と呼ばれるプロジェクト。平野の旧市街に残された様々な歴史的な建物(寺院や商家など)を、その所蔵品も含めて一般公開するというもので、現在では日本全国の歴史的な街区で珍しくなくなったスキームのように思えるが、ここ平野のものは1980年代よりスタートと、全国に先駆けて、それも町民レベルで発生し、今なお立派に存続しているのである。

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大阪(帝塚山) 2008 [日本の町散歩(近畿)]

大阪市南郊に位置する街、帝塚山(てづかやま)は、お屋敷街として有名な場所であった。阪神間の西宮、芦屋、御影等の高級住宅地よりも歴史は古く、明治後期から大正時代にかけて開発されたというだけあって、財界人というよりも、士族の末裔のようなもの静かな人々が、下町の喧騒を離れ静かに暮らす街だったのだろう。
1980年代、路面電車の停留所の前に、ミューズコートというモスグリーンのタイルに囲まれた、迷路のような複合施設ができた。それをきっかけに、帝塚山はおしゃれタウンとして注目され、ファッション誌などにも取り上げられるようになった。街には洒落たブティックやバーがポツポツでき、大人カップルの夜の散歩道となった。

いまの帝塚山は、かつて「高級住宅地だった」「おしゃれタウンだった」と、過去形でしか語ることのできないような、変哲のない街になってしまっている。お屋敷を相続できなくなった旧家の人々は郊外へ移住し、その跡地はマンションやアパート群、駐車場になってしまった。帝塚山のランドマークであったミューズコートも取り壊され、いまや目も当てられない安っぽいアパートに変わった。
本稿は、ミューズコートが取り壊されると聞いて2008年夏、あわてて撮影に行った際の記録である。

つぶさに見れば今もわずかに蔵や旧家が点在し、街を貫いて走る路面電車の行き交う姿は変わらない。いまも街にはどこかおっとりとして、静かで穏やかな風が吹いている。

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大阪ノワール(島之内の夜) 2007~08 [日本の町散歩(近畿)]

30歳の頃、私はミナミの繁華街にほど近い、島之内のビルに一人暮らししていた。
道頓堀や宗右衛門町から堺筋をわたってすぐの一帯だが、喧騒はひと段落し、マンションが増え、中国、韓国などの小料理屋やバーなどがその合間にチラホラ見受けられる。
それらのマンションの多くは保証人不要、住んでいるのはホステスやチンピラ、外国人ばかりだと聞かされて、じっさい、道路には50メートルおきに警察への通報ボタンが設置されているというありさまだったが、住んでみるとそこは、大都会で隅に押しやられた、弱きもの、いわくあるものたちが、お互いに無関心を装いながらも、ひっそりと肩を寄せ合いながら暮らす街であって、そこには確かに、ある種の安らぎにもにた雰囲気が漂っていた。
夜が明けるまで、点滅し続ける巨大なネオン街の灯を、かすむ眼でぼんやりと見ながら、私はその町で宙ぶらりんに生息していた。

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大阪(汐見橋線) 2007 [日本の町散歩(近畿)]

大阪の街中に、南海電鉄汐見橋線(しおみばしせん)という、知る人ぞ知る鉄道路線がある。
難波の繁華街にほど近い汐見橋という駅を起点として伸びる路線ながら、利用客が極端に少ない。たとえば木津川駅という駅などは、大阪市内の駅なのに、乗車人数は一日わずか39人(2011年調べ)しかおらず(!)、本数は日中もラッシュ時も、変わらず30分に一本という、都市鉄道としては実に異色の路線なのである。
都会の路線がなぜこんなことになってしまったのかは、様々な要因が絡んでおり一概には言えないようだが、もともと路線が繁華街から微妙に外れて走っていて乗客が少なめだったことに加え、地下鉄などの平行路線が整備されて乗客がさらに減るにつれ、どんどん本数を削ってしまったことが、悪循環を生んだともいえよう。
いまやほとんどの大阪市民も、この路線のことを知らない。古びて手つかずの小さな駅を、人知れずひっそりと往復するだけになってしまった汐見橋線。
だが、だから私はあえて宣伝したい。もし、あなたが人生に疲れ果て、うらぶれて行く当てなくさ迷うとき、この路線に乗ってほしい、と。 ・・・なにかがあなたの心の中に、芽生えるだろうと思う。

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大阪(西周り) 2005-08 [日本の町散歩(近畿)]

在阪の写真家、妹尾豊孝氏のカメラになる「大阪環状線 海回り」という写真集をご存じだろうか。大阪環状線とは、もちろん大阪市内を環状に走る鉄道路線であるが、その東半分と西半分では、その車窓風景はじつはかなり異なる。東半分の路線は、ほぼビル街といっていい市街地を走り、電車本数も多ければ利用者も多いが、西半分は、臨海部に近い工場街や住宅地を走り、その沿線は独特の雰囲気を持っている。この違いに着目し、その西半分を「海回り」と詩情をこめて謳ったネーミングのセンスとともに、この地域が持つ、単なる下町とも異なる、なんとも言いようのない雰囲気を的確にとらえたその写真集は、確かに秀逸なものであった。
私にとっては、その地域こそがまさに、父や母の生まれ育った場所であり、お盆や正月に帰省するふるさとである。だから、その場所を客観的に対象化することひときわ難しいし、今回こうしてブログにアップする写真たちも、それをテーマに撮り歩いたわけでもない、ただの寄せ集めである。だが、どこか憂いを帯びて淀み、どこか貧しくすさんでうらぶれたこの地域に対する私のノスタルジアが、少しは表れているだろうか。

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