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東急多摩田園都市 2007-15 [日本の町散歩(関東)]

東急多摩田園都市は、文字通り東急グループという民間資本が主体となって開発した城南地区一帯のニュータウンのことであり、現在の東急田園都市線の沿線のうち、梶ヶ谷駅より西を指す。もとよりそれは高度成長期生まれの典型的郊外住宅地であり、歴史的景観も街としてのまとまりもなく、ハワード的な思想ともかけ離れた出来そこないの“田園都市”であったわけだが、それでも次第に「田園都市ライフ」「田園都市マダム」等と言われる確固たる沿線イメージを生み出した。
たとえそれが当初はフィクションであったとしても、「他のニュータウンとはちょっと違う」というひとつのプライドとして住民の間で共有され、ライフスタイルにまで影響を与えた点は特筆されるべきで、イメージは波及し再生産されていく。そうして「フィクション」がどんどん自動的に上書きされ、独り歩きするようになってくると、もはやそれはつくりものではないひとつの文化圏の誕生といっていいように思う。
いまや50万を超える人口を抱えるに至ったこの地域の姿は、ともあれ日本固有とも言われる電鉄的経営思想の一つの集大成であることには間違いない。私は自身も関西の郊外住宅地育ちであることから、この地域のありようには以前から関心を寄せてきたし、実際に3年ほど住んだこともある。現在、郊外住宅地というものが曲がり角にあると言われるなか、改めて数度にわたり撮り歩いてみた。

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岩村 2016 [日本の町散歩(中部)]

岩村は、中央アルプスの最南端、恵那山塊に抱かれた山の町である。名古屋からも快速電車と明知鉄道を乗り継いで1時間半で来られるという手近さだが、歴史的な町並みがしっかりと残されている上に、日本三大山城のひとつである岩村城の城跡もあり、見ごたえのある町だ。戦国期には織田信長の叔母にあたるおつやが一時城主を務めたことから「女城主の里」としても知られる岩村。いまは城壁しか残されていないが、巨大な山城はその城壁をたどるだけでも面白い。
その山城のすぐ下から、流れる落ちる川筋に沿ってなだらかな坂道が続く。その坂道は右も左も、作り物ではない江戸時代からの町並みを残し、今も静かな町民のくらしがそこで営まれている。道筋にはかつての豪商の商家も多数無料開放されているほか、造り酒屋、薬屋、家具屋など現役の老舗も数多く残る。驚くのが「カステラ」を製造販売する店が多いこと。この山合いの小さな町に、西洋渡来のカステラ屋が4軒もあり、覇を競っているのだ。江戸時代、長崎に修行に行った地元の医者がレシピを持ち帰り、町に広まったものという。時代とともに洗練が加えられた長崎のそれとは異なり、岩村のカステラは伝わったがままの素朴な味わい。それが何とも嬉しい。
観光地として決して有名ではない岩村だが、心ある旅人にとっては穴場を探り当てたような、たくさんの楽しみのある町である。

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登米 2016 [日本の町散歩(東北)]

登米、と書いて「とよま」と読む。広域では読み間違えられることが面倒なのか簡単に「とめ」と読ませるが、町の名前はあくまでも「とよま」。北上川の中~下流域にかけての舟運の要として、古くから栄えてきた町には多くのお屋敷や商家建築が残り、「みやぎの明治村」として風情と風格ある一角が形成されている。
しかし私はどうもこの町に対してあまり良い印象は持てなかった。確かに多くの歴史的建築物が散在してはいる。武家屋敷の並ぶ前小路等の風景は見事だ。が、どうも町そのものの鼓動が感じられない。町のしての統一感、まとまりがなく、広域である「登米(とめ)市」の単なる一地区になってしまった印象だ。もっとも閉口したのは、町のど真ん中を東西に突っ切る肝心の大手通りがいまや尋常ならざるダンプ街道になってしまっていることだ。どうしたことか、右からも左からもダンプカーが次から次へとやってきて、地響きとともに通り過ぎて、止むことがない。これでは町の雰囲気も息遣いもなにもあったものではない。聞けばこの県道は、さらに拡幅するのだという。いち旅行者があずかり知らぬ地域の事情があるのかもしれないし、何より歩行者保護のための苦肉の策だろうが、実にまずいことをするものだ。この町は、登米(とめ)市に吸収されて以降、誇りを失ったのかもしれない。

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