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竹原 2019 [日本の町散歩(中国・四国)]

尾道に通っていたころから、竹原には興味があった。決して街並みとしては美しくない尾道とは対照的に、「安芸の小京都」と言われ、早くから街並み保存の進んだ竹原。大林宣彦監督の映画「時をかける少女」でも、情緒的なシーンでは尾道ではなく竹原で撮影されていた。映画に出てくる「堀川君」の住む醤油屋は、竹原に実際に現在も存在する「堀川醤油醸造所」である。
江戸時代以降、昭和の中期まで、竹原の主な産業は、製塩だった。かつては全国シェアの8割を占めたという広島県の製塩。それによって竹原の街並みは作られていった。製塩業の衰退して久しい今、いったい竹原の街はどのように維持されているのか。街並み保存に長年力を入れてきた街だけに、その成果が見てみたく、今回の訪問となった。

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東京<荒木町> 2016 [日本の町散歩(関東)]

東京はその茫漠とした平野の谷間に、様々な個性を持った魅力的な街々を、幾つも幾つも隠しているが、荒木町もそんな街のひとつである。駅で言うと丸ノ内線の四谷三丁目と、都営新宿線の曙橋との間に挟まれた一帯であり、地形的には、すり鉢状の窪地になっている。そのすり鉢の底にあった池の周りにその昔、茶店が立ち並び、芸者や風流人らが集ったことが街の起こりだというが、その花街としての歴史は、戦争をはさんで昭和40年代まで連綿と続いていたらしい。だがその後、さびれた。
いま、荒木町は飲み屋街として再び脚光を集めている。街のそこかしこに、花街だった時代の色香が残っているのが面白い。集まっている店や人も、どれもひと癖ありそうなのばかりで、いまも呑み助にはたまらない街である。そして、すり鉢の底の池も、まだある。ずいぶん小さくなったとはいうが、いまもマンションやネオンに囲まれてひっそりとその水面を揺らしている。

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小湊鉄道 春の沿線 2016 [日本の町散歩(関東)]

「10年ひと昔」という言葉が死語になるくらい、高度情報化による今の環境変化は目まぐるしい。パソコンが生まれ、スマホが生まれ、いまやグーグルとアマゾンで何でもできてしまう。しかし、この小湊鉄道の古びた列車に揺られていると、そうした出来事は全て夢の中の出来事で、本当は、何十年も前から、我々の暮らしというのは昭和の頃から何ひとつ変わっていないのではないかという気がしてくる。おそらく、それもまた本当なのだろう。
窓外を流れていく沿線の景色も、おそらくかつてとそう変わってはいない。それと同じように、道を歩く人の心も、本当はそう変わってはいないのだと思う。菜の花でうずまった、穏やかな春の上総地方。悠久の時空を旅しながら、変わりゆくものと、変わらないものとに思いを馳せることができるのが、小湊鉄道の最大の魅力である。

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信濃路の春(と秋) 点景 2009 [日本の町散歩(中部)]

関東に越して最初の春、私の信州通いは始まった。武蔵野の端にあった私の自宅から、バイクにまたがっていくつも山を越えていくのが面白かった。所沢から正丸峠を越えて秩父に入り、小鹿野から志賀坂峠を経て群馬県は上野村を快走したのち、険しい山道を辿ると十石峠で、そこから緩やかな下りを降りてゆくと、ようやく信州・佐久平。自宅からここまでで6時間を要したが、植生や空気が次第に変化していくのが肌で感じられる道中は、まったく弛緩することがなかった。県都長野までは、千曲川の川筋を辿るか、菅平を超えるかして、さらに2時間。時間の都合で、素直に上信越道を疾走することもあったが、この下道ルートは私のお気に入りで、何度往復したことか知らない。これらの撮影行の成果は「春の松代」「夏の須坂」「秋の小布施」等のページにまとめられているが、ここでは、それらに掲載できなかった道すがらの写真達を、落ち穂拾い的に集めてみた。

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山梨・富士山(断章) 2009 [日本の町散歩(中部)]

2008年秋に大阪から東京に転居したのち、ゼファー1100(中古)を購入した私は、少しでも春めいてくると居てもたっても居られず、セーターを幾重にも着こんでツーリングに出かけた。
関西育ちな私は、やはり富士の山容はちらっと見えただけでも感激してしまう。それがどんなに遠く小さくとも、その崇高な姿にはどうしようもなく惹きつけられてしまうのだ。
そんなわけで、富士山のチラリズムを求めて(?)、甲州を一日走ったときの記録がこのページである。いつか本格的に撮りに出ようと思いつつ、かなわぬまま現状に至ってしまったが、10年前の記録としてここに留めておきたい。

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阪神間 2018 (4)冬の芦屋 [日本の町散歩(近畿)]

さて、春、夏、秋と阪神間のステキ町をめぐってきたが、最後の大トリを飾るべきはもちろん、芦屋であろう。日本一の高級住宅街であるのはもちろんだが、芦屋の魅力は、ここが単なる住宅街ではなく、地元の人々の日常が生み出す街的なストリートをあちこちに抱えている点であろう。その雰囲気は単にオシャレやハイソなどと表現できる生易しいものではなく、一般庶民の日常世界をキッパリ突き放してしまったようなところがどこかにあって、よそ者を面食らわせるがしかし、・・・それでも背伸びをしながら歩いていると、しだいに鏡の向こうの異世界を歩くような、不思議な浮遊感が湧いてきて、コキゲンな気持ちになれるのだ。
芦屋川の桜が咲き乱れる春も良いが、芦屋がもつ街的な審美性がもっとも際立つのは、余計なもののない冬という時期ではないだろうか。・・・そう思って最後にとっておいた街歩きを、皆さんも楽しんで頂きたい。

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貞光 2018 [日本の町散歩(中国・四国)]

高松でオシャレな女の子が沢山歩いていたけれど、徳島に入ると、いわゆるキレイな女性を見つけるのが急に難しくなる。列車に乗り合わせた女子高生達はおさげに白ズック、男子に至っては、高校生にもなるというのに鼻水垂らして居眠りしている。田舎にはつきもののはずのヤンキー風の不良学生さえ、徳島では見かけない。誰もが野暮ったく、純朴そのものだ。そこがいい。
今回訪れた貞光という町は、そんな徳島の朴訥とした感じが、良い形で結晶化されている町だ。脇町と同じく、吉野川流域における物資の集散拠点として栄え、うだつのある街並みを特徴とするが、観光化という意味では脇町に大きく後れを取り、脇町で進んでいた電線地中化や道の駅の開設等も全くなされていない。しかし、それがいい。決して観光客のためではなく、住民のための生活の場として、うだつの町並みや昭和の街並みがいまに生きているというのは、じつは全国的にも貴重なのではないか。・・・私はすっかり貞光が好きになってしまった。

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村上 2017 [日本の町散歩(中部)]

のっけから食い物の話で恐縮だが、鮭好きにとって越後の村上は聖地のようなところである。なにしろ、100種以上の鮭の料理法が村上には伝わるというのだ。太古の昔から、晩秋になると近くを流れる三面(みおもて)川に、おびただしい数の鮭が遡上してくる。江戸時代の村上藩がこれに目を付けたところから伝統のサケ漁が成立し、今に至るまで町の一大産業で有り続けているという。
村上藩の偉いところはこれだけではない。地酒、和菓子、お茶、それから伝統工芸の「村上堆朱(ついしゅ)」・・豊富な名産品を育て上げたこの町の心意気と、それによって培われたであろう文化的雰囲気を感じてみたくて(・・いや単純に鮭料理を腹いっぱいに食べてみたくて)私は冬の初めにノコノコとこの村上にやってきたのであった。

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阪神間 2018 (3)秋の御影・住吉 [日本の町散歩(近畿)]

阪神間という地域のルーツはもちろん、大正時代から昭和初期にかけて邸宅街として発展した歴史にあるが、その頃の古き良き「残り香」を最も感じさせるのが、阪急電車の御影(みかげ)駅の周辺から住吉川にかけてのエリアであろう。谷崎潤一郎の邸宅があったことでも知られ、豪壮な「御影石」の石垣に囲まれたお屋敷や美術館が点在するこの地域は、当時のモダニズムを色濃く残しながらも、どちらかと言えば「和」情緒をより強く感じさせる。
いまや「お屋敷」の多くは取り壊され、その跡地は巨大なマンションや分譲住宅がいくつも並ぶ光景へと変わったが、それが元あった邸宅敷地のとてつもない広さを物語っているわけで、実はいまよりもずっと豊かだったこの地の人々の、当時の充実した暮らしぶりが、そこはかとなく偲ばれるのである。

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日野 2018 [日本の町散歩(近畿)]

日野もまた近江商人のふるさととなった町のひとつ。「日野の千両店(せんりょうだな)」と言われる通り、ここの人々はとりわけ日本各地に多店舗展開し、流通網を作り上げる術に長けていたと言われる。土地の恵を生かした漢方医薬と木工品(椀)を二大看板に、全国を股にかけて渡り歩いた日野商人たちの故郷は、いまは鈴鹿山麓の里山のただ中にある、ちいさな町に過ぎない。
しかしこの町の家並みが持つ、まれに見る品の良さはどうだろう。質素倹約を重んじた近江商人であるから、決して華美な家並みでないのは分かるが、それだけではない。日野の町を歩けば、近江八幡や五個荘とも違う、教養や文化的な豊かさを内に秘めた、ゆとりのようなものが感じられるのである。その雰囲気はどことなく、信州の小布施を思い出させる。
そういえば日野もまた、平成の大合併の風潮の中で、誇り高く独立を守っている数少ない町のひとつなのである。

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脇町 2018 [日本の町散歩(中国・四国)]

徳島県を西から東へと流れる吉野川は、日本三大暴れ川のひとつに数えられ、「四国三郎」の異名もとる堂々たる大河。脇町は、この中流域の北岸に位置する小さな町である。江戸期以降、ここには周辺の農村から葉藍が集まり、職人や商人たちがこれを染料の藍にした。吉野川の舟運によって下流の町や京・大阪へも運ばれた「阿波藍」は、この町に富をもたらし、脇町の商人たちは、その富の象徴としてこぞって我が家と隣家との境界部分に「卯建(うだつ)」と呼ばれる防火壁をこしらえたが、現在でも通りの両側に約400メートルにわたって続く「うだつの町並み」は日本でも唯一無二の存在である。
しかし私がこの脇町のことを知ったのは、うだつへの興味からではなく、山田洋二監督に「虹をつかむ男」によってであった。映画では、西田敏行演じる中年男が、つぶれかけた映画館の再興を期して、このうだつの町並みを奔走するのであるが、そこでは、日本の古き良き町の人々の交流の様子が実に生き生きと活写されていた。

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今庄 2018 [日本の町散歩(中部)]

今年は何度か福井方面に足を運んでいるが、その度に北陸線の車窓から見て気になっていた町があった。それが、北陸トンネルを抜けてまもなく左手車窓に現れる、今庄である。長いトンネルを抜けてきた後だからなのか、どうもこの町だけがセピア色に見える。いや、なんだか白昼夢のような、現実離れした場所のようにも見えたのだ。
越前の南端に位置し、北国街道の宿場町として栄えたというこの町に、今日は降り立ってみた。そして、驚いた。街道筋の町並みが圧巻なのは言うまでもない。飾られもせず、護られもせず、ましては作り物なんかではない本物の町並みが、ただ色褪せてそこに続いている。それだけではない。少し裏手へと足を踏み入れれば、これが現代の風景だろうかと目を疑うような路地や抜け道が、こんどは色鮮やかに、続いているのだ。これは掘り出し物だと思った。こんな山かげに、よくぞこんな魅力的な町が隠れていたものだと思う。・・・そんな私の興奮もどこ吹く風。今庄の町は、人々から忘れられるがままに、今日も眠りこけている。

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真鍋島 2018 [日本の町散歩(中国・四国)]

気候が良くなると、瀬戸内の町に、時折ふらりと行ってみたくなる。尾道、笠岡、下津井、牛窓と、いつも陸から海を眺めてばかりだったのだが、やはりたまにはこの穏やかな海に浮かぶ島に渡ってみたいという衝動にかられる。小島まで含めるとその数1000を超えるという瀬戸内の島。その中で、私が最初に選んだのがこの真鍋島である。笠岡からのフェリーが、白石島、北木島を経て最後にたどりつく島は、本州側からも四国側からも20kmと、どちらからも隔たっており、瀬戸内古来の漁村風景が残されているという。
そんなのどかな空気に触れてみたくて、この夏、私もフェリーに乗り込み訪ねてみた。結論から言うと、その日は撮影行には暑すぎたのであるが、、、、ともかくご覧頂きたい。

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阪神間 2018 (2)夏の岡本・本山 [日本の町散歩(近畿)]

阪神間のステキな街々をめぐる旅の第2弾は、若者の多い街、岡本~摂津本山である。阪神間には、神戸大学や関西学院大学を始めとして多くの大学キャンパスがあるが、中でも甲南大学、甲南女子大学、神戸薬科大学があるこの岡本周辺は、多くの若者が闊歩する街としてよく知られている。学生街といっても、安い定食屋やチェーン店、アパートがひしめいている場所ではない。個性豊かな雑貨屋やカフェが点在する、むしろ垢抜けた一帯で、石畳の坂道をゆく女子大生達のファッションを眺めているだけでも、目が覚めるような心地がする。地域住民のグループが結束して行っている独自の看板規制運動等でも注目されており、だからなのか、チェーン系のカフェであっても安っぽさとは無縁で、街に溶け込んで洒落て見えるのが面白い。
かつては梅林が広がることで知られた地域だけに、すこし駅を離れると、すぐに六甲山に抱かれた静かな住宅街になるのも好印象だ。豪邸の並ぶ芦屋や夙川等と比べれば、人懐っこい緑豊かな細い路地が、斜面に沿ってうねうねと続いている。

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越前大野 2018 [日本の町散歩(中部)]

北陸本線の列車に乗って京都から向かっている。北陸トンネルを過ぎてしばらくすると、回りの家並みが随分と好ましいものになっていることに気付く。楚々とした、慎ましやかな家並み。無駄に主張するところがなく、こざっぱりとして清潔な印象。それでいて、どこか京、近江の家並みが持っていた優美さも受け継がれている。私の場合、それはそのまま、越前という地域全体の印象にもつながっているのだが、そんな越前の良さが凝縮された町のひとつが、この大野であろう。
九頭竜水系もずいぶんと上流にさかのぼった小さな盆地に、この町はある。山に囲まれ、400もの湧水に恵まれた水の良さが、大野という町のすがすがしさを生んでいる。水が良ければ人も良く、醬油に清酒、そば、羊羹と、名物にも事欠かない。戦国時代以来の歴史を持つ朝市が毎朝開催される町としても、全国唯一無二の存在だろう。
梅雨の明け切らない時期、目まぐるしく変わる空模様の下、この町を歩いてみた。

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三国 2018 [日本の町散歩(中部)]

三国は、歌うように風が吹く、おだやかな港町である。日本海を目の前にし、九頭竜川の河口に開けたこの街は、北前船の寄港地として越前随一、北陸屈指の繁栄を誇った。いまも九頭竜川右岸に沿って細長く3kmに渡って古い商家建築や花街跡等が続き、見ごたえがある。北側の一角を占めていた三国の花街の格式は、当時日本でも屈指と云われていたらしい。遊女達の素養の高さも世に聞こえており、書、華道、俳諧、茶の湯等に優れた者が何人もいたという。実際に江戸で女流俳人として名を残した哥川(かせん)は、出村町の妓楼出身であった。三国の商人達の教養も高かったといい、街全体がどこか文化的に豊かなものを持っていたと思われる。
三国を歩くと、ふと三味線の音が聞こえてきたり、気の利いた盆栽が並んでいたりと、ゆらゆらとそんな時代の町の気品が、今もたゆたっているように感じられるのが不思議である。

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阪神間 2018 (1)春の夙川・苦楽園口 [日本の町散歩(近畿)]

阪神間といわれて、他地方の人ならタイガースや工場地帯を連想してしまうかもしれないが、ここでは西宮市から神戸市東部にかけて、六甲山麓に連なる郊外住宅エリアを指す。すなわち、武庫川、西宮、夙川、芦屋、岡本、御影、六甲等の一帯である。この地域について、全国的に通用する気の利いた呼び名が無いことが惜しいが、それというのもここが、日本で最も住環境に恵まれ、文化的にも豊かで、かつ洗練された都市生活が繰り広げられている地域だからである。そんなことを書くと東京あたりの人は鼻白むかもしれないが、残念ながら田園調布や成城などの首都圏の高級住宅地は、規模や品格、それに街としての魅力の点でも阪神間に遠く及ばないし、広尾~白金一帯や松涛~代官山あたりのアップタウンは素敵だが、残念ながら六甲に抱かれ海を前にした阪神間のような自然環境の魅力はない。
2018年度はこの阪神間のキラ星のような街々の中から、四季に応じて四つの地域を選び、撮り歩こうと思う。「こんな場所に住みたい」と思う気持ちは若い頃に比べて薄れたが、この地域の成熟したアイデンティティを、関西人としてもっと多くの人に知ってもらいたい気持ちは依然強い。
第1回は、阪神間でも私が最も好きなエリア「夙川」「苦楽園口」を取り上げる。

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卯之町 2018 [日本の町散歩(中国・四国)]

卯之町(うのまち)は、南予地方の山中にポツリとある小さな町。昔ながらの宿場町風情を残す町並みが有名だが、それ以上に、不思議な異国情緒の残り香があるところが面白い。歩いていると、石畳の坂、現役の教会、アーチ型の窓を持つ旧学校等、まるで長崎ではないかと思わせるような風景が開けてくる。それもそのはず、ここはシーボルトの弟子でもあった二宮敬作が住んで拠点とした町であり、敬作を慕う多くの蘭学者が集った町でもあるのだ。シーボルトの娘であるイネも青春時代をここで過ごして日本最初の女医となったし、江戸幕府に追われた高野長英が潜伏していた時期もある。山間にありながらも、文明開化の貴重な脇役となって花開いた町なのだ。
いまの卯之町は、商店街を歩く人も少なく、賑わいはすっかり遠のいてしまった。しかし、いまも卯之町教会の十字架は空高く聳え立ち、風にそよぐ棕櫚の木が町に彩りを添えている。

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城崎 2018 [日本の町散歩(近畿)]

城崎こそは日本を代表する「温泉街」である。昔ながらの、絵に描いたような温泉情緒を、これほど楽しませてくれる場所もいまや珍しいのではないだろうか。
この街では昔から、宿の内湯はおまけに過ぎない。大谿川に沿って7つある外湯こそが城崎の本懐。それをめぐろうと、老いも若きも、ニホンジンもガイジンも、みんな町を練り歩き、道中で買い食いやゲームやショッピングに興じる。雨の日も、雪の日でもそれは変わらないのだ。
雪降る湯の街情緒もよかろうかと云いつつ、本当はカニを目当てに40歳を越えて初めて来た城崎。街をそぞろ歩く客の多くが若者であることに驚く。カップルはもちろん、OLや大学生らしき女性グループ。男性ばかりの若者グループが多いのも今ふうか。沿道に並ぶ店にも、ビアバーやパティスリーなど今風のしゃれた店が目立つ。
時代が移ろいゆく中でも、やっぱり日本人の温泉好き、そして和情緒好きのDNAは変わらないのだと改めて思う。今回はそんな喧騒をときに避けつつ、ときに交わりつつ、城崎という町の表情を追ってみた。

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信楽 2017 [日本の町散歩(近畿)]

信楽は言うまでもなく、奈良時代から連綿と続くやきものの里である。笠をかぶり、徳利と通帳を持ったタヌキの置物が有名だが、それだけではなく、温かみのある火色を特色として、この地のやきものは多種多様の発展を遂げてきた。生活に根付いた甕、傘立て、火鉢といった大物の生産では全国トップシェアを守ってきたし、食器や人形などの小物でも個性的なものづくりが行われている。また、茶器、花器等で京文化の一端を担ってきたという側面も見逃せない。山あいの小さな町をめぐれば、方々から聞こえるろくろの音、立ち上る焼成のけむり。道端には製品、作品が無造作に積まれたりしていて、まさに町じゅうが製陶一色という感じだ。関東の益子のように道路沿いにずらり並んだショップに買い物客がつめかけ・・ということはないが、そのかわりに、あちこちに散らばっている窯元までじっさいに訪ねて歩いて回れるのが信楽の良さ。多くの窯元はギャラリー、ショップ、カフェ等を併設していて気軽に入っていけるし、製作現場の見学ができるところも多い。製作者本人と話しながら品定めができるなんて、最高ではないか。歩いていると埋もれかけた古い登り窯を発見したりもして、なかなか楽しい。

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篠山 2016-2017 [日本の町散歩(近畿)]

秋のひと日、丹波篠山(ささやま)の街を訪ねると、「日本の田舎に元気がない」などという言説は嘘だったんだと、嬉しくなる。通りをそぞろ歩く、人の数のなんと多いことか! 人々のお目当ては、枝豆、黒豆、栗、松茸、そして、山の芋。冬になれば解禁される名物の「ぼたん鍋」(猪肉鍋)。。。こうした丹波の里山がもたらす食の恵みが、この町に豊かさとに賑わいをもたらしている。通りを見渡しても、シャッターを下ろしている店はほとんどない。昔ながらの大衆食堂、呉服屋、履物屋、果物屋、玩具屋・・・いずれも現役で軒を並べている。
それだけではない。古い町並みを残す河原町地区を中心に、おしゃれで個性的なお店が続々と誕生している。カフェ、雑貨屋、ベーカリー、ワインショップ、ゲストハウス等、いずれも外部からやって来た人々によるものだが、こうした動きが連続するのは、移住者の新規開業を容易にするスキームを作り上げた地元の仕掛人(オジサン達)がいるからだ。
新旧入り混じった魅力のつまった篠山の町。今後の地方都市の行き方のひとつのモデルを示す、貴重な例といえよう。

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近江八幡 2017 [日本の町散歩(近畿)]

近江八幡もまた悠揚たる町である。琵琶湖のほとりに位置する戦国期以来の城下町は、長浜のような今ふうの町おこしからはやや縁遠いが、大坂や江戸で活躍した近江商人を数多く輩出してきた町のひとつであり、歴史的に潤沢な資金の還流があったのだろう、十分に拡張、近代化された都市的風貌を備えている。そんな中、築城とともに引かれた琵琶湖からの水路と条理制の古い街並みが、今も静かなたたずまいを昔のままに残しているのが素晴らしい。また、建築家W.M.ヴォーリズが愛し、その活動拠点としたのもこの街であり、その遺産である数々の洋風建築やメンソレータムで有名な近江兄弟社(ヴォーリズが設立)も見所のひとつだし、新しいところでは今や全国に熱烈なファンを持つ菓子会社「たねや」「クラブハリエ」を生んだ町としての魅力もある。
こうした歴史の積み重ねが、町に独特の空気の余裕を生んでいる。それは時流に左右されず、長期的視野に立った調和や合理性を重んずるという、地道で飾らない真の商業精神のひとつの結晶ではないかと思われる。

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伊予大洲 2017 [日本の町散歩(中国・四国)]

内子がまだ観光地として無名だった頃、南予地方で古い町並みといえば大洲であった。その町並みを生かし連続TV小説「おはなはん」の撮影が行われた、等と今もガイドブックなどに紹介されているが、しかし調べてみると「おはなはん」なるドラマの放映は1966年と、えらく前である。その後今に至るまでほかのトピックがないほど、大洲の町はこんこんと眠っていたのだろう。
実際に来てみても、この大洲に吹いているのは、時流の浮沈にわれ関せずという、悠揚たる無頼の風であるようだ。今ふうの店はまず見当たらないし、他地域からの人の流入も少なそうだ。大洲で生まれ育った大洲のオッサンが、今日も変わらず自転車に乗り、古びた通りをゆっくり横切ってゆく。そんな町だからこそ、鵜飼い、芋焚きといった伝統が今に生きているのだろう。
極めつけは、大洲城天守の復元。2004年に、竣工当時の工法を忠実に再現して再建された天守閣は、さすがの風格を見せつける。浮ついた町並み保存や小手先だけの転入者誘致なんぞにカネを使うよりも、ドカンと大きなことをひとつやるという姿勢がまことに面白い。

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神戸 2017 (4) 神戸駅からハーバーランド、そして新開地方面へ [日本の町散歩(近畿)]

三宮よりはるかに地味だが、神戸には神戸駅もある。そして新開地から湊川、東山商店街に至る比較的大きな商業集積が、その近くにある。今は「B面の神戸」等と言われ、観光でもあまり取り上げられないこの商店街こそ、戦前は神戸の中心と云われた大繁華街だったエリア。そもそも神戸という町がなかった頃、この辺りには兵庫の港があるきりだった。近代になって、布引の滝の下に外国人向けの神戸の港と街が造られ、鉄道が敷かれた時、「神戸駅」は折衷案で旧来の兵庫地区と新興の神戸地区の中間に設置されたのだという。そしてやはり兵庫と神戸の中間の新開地・湊川地区に、庶民が集まるようになった。
しかし昭和以降、神戸港の勃興とともに繁華街の比重はより神戸側へ、つまり東へ移動してゆき、元町、そして高度成長前夜の頃から完全に三宮へと移った。いまは残照のようにレトロな趣きを湛えるエリアとなったが、アートヴィレッジセンターが出来たり、洒落たゲートモニュメントがあったりと新しい動きもあって、湿っぽくはならないのが神戸流。なによりも、神戸人の台所といわれる東山商店街の賑わいは、いまもピカ一。南に造成されたハーバーランドも、成績はいまひとつと言われながらも、風景としては定着してきている。

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神戸 2017 (3) 北野界隈 [日本の町散歩(近畿)]

キネマの月が巷に昇る春の夜、稲垣足穂が友人とたどった「カラクリのような小路」は、北野の小路であったろう。外国人たちの居留地だった戦前、戦後の頃まで、北野には200棟以上の洋館があった。スミレのような西洋の少女が行き交った時代はすぎて外国人達は北野を去り、神戸を去り、洋館は朽ちていった。残された30の洋館は、ほとんどが観光用に変化してしまった。
1980年代から90年代、北野は格好のデートコースとなり、オシャレな店がたくさん出来た。山本通りはスポーツカーに乗った若いカップルで鈴なりだったという。しかし、そんな時代を象徴する名店ジャン・ムーランも、ジャック・メイヨールも、今はない。
すっかり落ち着いた今の北野。それでも通りを歩けば外国の血が混じった子供達とすれ違うし、北野坂や山本通りは、やはり眼も覚めるように垢抜けている。ちょっと大きめの家だと思うと、中国人や西洋人の表札がかかっていたりする。修復の進んだ「異人館」を巡るのも良いが、その裏に隠れている路地を抜けて外国人たちによって彩られた北野の歴史に思いを馳せたりする。またこれからが楽しみな、北野である。

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神戸 2017 (2)元町駅から旧居留地、メリケンパーク方面へ [日本の町散歩(近畿)]

三宮を神戸の表の顔というなら、元町界隈は神戸そのものといっていい。開港以来の目抜き通りである元町商店街周辺には風月堂、ユーハイム、ファミリア等名だたる神戸ブランドの本店がいまも軒を連ねているし、欧米系外国人たちのオフィス街であった旧居留地は、一時さびれていたが、クラシックビルの修復や再利用が進み、いまや山手の北野を凌ぐ観光地ともなっている。南京町から栄町通り、そして乙仲通りに至る界隈は、かつて怪しげな零細貿易会社や船員バーがひしめく、最も神戸らしいエリアだった場所。いまは所々に面影を残すだけだが、そのかわりに、小さくても個性的で垢抜けた、神戸らしい雑貨屋や服飾店があちこちに入るようになった。150年前の開港以来、港を通して様々なものを取り入れ、堆積してきた神戸という町のフィルターの役目を果たしたのはこの元町であり、そのしたたるばかりのエッセンスが、今も元町界隈にはたっぷりと残されているのだ。・・・うんちくはそれくらいにして、元町駅からさあ、歩き出そう。

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神戸 2017 (1)三宮駅からトアロード、花隈方面へ [日本の町散歩(近畿)]

大阪近郊に生まれ育った者として、どうしても神戸という町には憧れの感情がある。大阪、奈良、京都は地元と言える私だが、こと神戸にだけは拒否され続けてきた。かつて神戸の学校を受験したが不合格をくらい、神戸の女性に告白したがフられ、神戸の露店で並んだが私の目の前で品切れとなった。そんな私がこの度、ようやく神戸に関わりを持つことができた。東京から関西に戻った際に得た職場が、神戸のホテルだったのだ。私はフロントマンとして一躍、神戸について語り、案内する立場となった。
久しぶりに見る神戸。食べ物はバラエティに富んで美味しく、女の子はやはり洒落ている。そもそも服装の色使いが違う。電車に乗っていても、京都あたりでは緑や茶色のくすんだ色の服を着た地味な娘ばかり。おかげで、春だというのに車内の空気もどんよりしているが、神戸に近づくにつれて、水色やらレモンイエローやらといったキレイな色遣いをうまく取り入れたカワイコちゃんたちが増え、車内は溌溂として行く。
そんな神戸の町を、よそものの私はやはり素敵だと思うし、歩けばやはり浮き浮きとした気持ちになる。今回から4回に渡って、そんな神戸の町歩きの記録を公開させて頂こうと思う。

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内子 2017 [日本の町散歩(中国・四国)]

愛媛県南予地域にある内子(うちこ)もまた、いち早く町並み保存を進め、街おこしに成功した町のひとつとして知られる。ここは城下町や宿場町ではないが、地の利に恵まれ、江戸期から明治にかけて、和紙、そして特に木蠟の生産地として栄えた歴史がある。内子産の木蠟は全国シェアの3割を占め、品質の高さから海外へも輸出される等し、町衆は大いに財をなしたという。しかしその後は鉄道や道路の幹線から外れたこともあり、ひっそりと低迷する時代が長く続き、観光にも縁がなかった。その内子の町が、年間50万人を超える観光客を迎えるまでになったのは、やはり護国・八日市地区の見事な町並み保存、修景によるところが大きいだろう。
内子の面白さは、これらの見事な町並みに、和ろうそく、鉄工芸(蝋台)、竹工芸、棕櫚工芸、行燈(和紙)、染め物、鏝絵など、内子の過去にルーツを持つものも持たないものも含めて、ニッポンの手仕事の担い手たちが、ポツポツと入居していっている点である。若い人も含めて実際に職人自体が町に移り住み、工房を持つというこうした動きがもう少しまとまったものになれば、内子は多彩な伝統工芸文化の集積地として、生きた産業の町に返り咲くことになるのだが。

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長浜 2017 [日本の町散歩(近畿)]

琵琶湖の北東湖畔に位置する長浜は、「街おこし」の成功例のひとつとして名高い。年間の観光客は200万とも300万とも言われる。火付け役となったのは、1988年に設立された第三セクター「黒壁」である。当時、閉鎖された旧百三十銀行の歴史ある建物が取り壊されることとなり、これに危機感を覚えた市役所職員が、地元の民間企業の経営者達に建物の買取と再生事業の開始をもちかけたのだ。彼らは一致団結してお金を出し合い、建物を買い取って保存。その再生にあたって、長浜に新しい産業として「ガラス製作」を取り入れて観光の柱とすることにしたのである。
それは実現した。観光バスが次々とやってきて、降りてきた人々はガラス工房を見学した後、街をぐるりと一周して帰るようになった。一時はシャッターばかりになったさびれた商店街にも、観光客目当ての新しいお店が次々に出店するようになった。

それから30年近くが経った2017年、遅ればせながら私も長浜を歩いてみた。当時の熱気は薄れつつあるとも言われる中の訪問であったが、中高年層のみならず若い女性やカップルが連れ立って古い町並みを散策している。ガラスショップの他にもスタイリッシュな雑貨店やカフェ、レストランが町のあちこちにある長浜の様子は興味深いものであった。

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