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南海電車 1979-1994 [鉄道少年の頃(関西鉄道写真アーカイブ~1994)]

私の子供の頃、阪堺電車の次に身近な鉄道は、この南海電車、とりわけ緑の濃淡によって塗り分けられた、南海本線の電車であった。当時の私の家が、堺市南郊の、阪堺電車と南海電車がほぼ並行して走っている地域にあったためである。
阪堺電車に対するほどに愛着をもっていたわけではないが、家族単位では最も利用頻度の高い路線であり、大阪市内にある父方、母方の実家に向かう際には、よく父母と乗車し運転席のすぐ後ろでかぶりついていたものだ。

とりわけ、夕暮れ時の石津川河口付近にかかる鉄橋を通過してゆく、下り急行電車のあかあかとしたイメージは、いまだに私の脳裏に焼き付いて離れない。
それはまだ小学生3年生ごろであっただろうか、あたりが薄暗くなり、不気味にくろぐろとした河口の工場地帯を前に、家への帰り道もわからず、不安におびえ切っていたその時、下り急行電車がやってきた。
6両編成の急行電車には煌々と車内灯が灯り、混雑しながらも思い思いにくつろぐ大勢の帰宅客の姿がかいま見えた。そのあかりは闇に沈みつつあった河口周辺をさっと眩しい光で包みこみ、そうしてきらきらと光の残滓を残して、電車は河を渡って行ったのだ。

その光景は、鉄道と街と、そして人の暮らしのあり方とを、まだ物心つかぬ私の心の中で、はじめて大きなひとつの輪に結び付けた。私がいまもって郊外電車というものの社会的役割について、非常に興味を持ち続けているのは、この原体験があるからである。

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9000系4連の普通みさき公園ゆき 箱作-淡輪 1992年3月




 
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まず掲載する以下の 写真は、1970年代後半から80年代初頭の頃のもので、私の父による撮影であろうと思われる。

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未更新時代の7000系普通なんばゆき。石津川駅(地上時代)
すでに高架化工事が始まっている1979年頃。


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和歌山市駅構内の検車区に配置されていた電気機関車ED5201形。
まだこの頃は細々と貨物運転があった。1984年に貨物営業廃止。1980年頃の撮影。


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6200系の各停なんばゆき。新今宮駅。1980年頃の撮影。


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きのくに号として1985年まで走っていたキハ55。新今宮駅にて。1980年頃の撮影。
2両と短く、また気動車特有の耳慣れない爆音とともに走るので子供心に恐怖心を持っていた。



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これ以降が私の撮影である。
引退間近の特急「四国号」1001系をなんば駅で撮ったものが、私の最初の南海電車の撮影かもしれない。
四国号には乗ったこともないのに、「さよなら四国号」という作文をクラスで発表した。

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特急四国号として最後の活躍をする1001系。なんば駅。1985年頃の撮影。
車内に入ると、これが特急かと思うくらいくたびれており、がっかりした記憶がある。


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高架化工事の完成した石津川駅で。7100系による普通和歌山市ゆき。1985年頃。


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石津川-諏訪の森間の石津川橋梁付近にて。
ひどい写真だが、ここが上記の私の原体験を得た場所である。
新鋭9000系は基本4連で組成され、6連の急行運用は当時は珍しかった。1985年頃。


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こちらも高架化なった堺駅に進入する7100系急行和歌山市ゆき。1985年頃。
なお急行は白線なしと白線ありの二種類があり
白線ありの方は春木に停車するもので原則として羽倉崎ゆきか泉佐野ゆきだった。
このように白線ありの和歌山市ゆき急行は非常に珍しい。
全くの余談だが、この堺駅ホームは小学生時代、私と初恋の女の子との、淡いながらも特別な記憶のある場所なのだ。


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デビューしたばかりの10000系特急「サザン」。
登場時はあの「サザン」表示ではなく特急表示であった。 和歌山市駅にて。1986年頃。


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サザンの洗車。和歌山検車区。1986年頃。


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加太線加太駅にて。1521系。1986年頃。


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高師浜線1521系。羽衣駅にて。1986年頃。
高級住宅地だった地域を走るというのに、汚ならしい単行電車が走っていた。南海電車は、大阪北方のハイソ系住民から「小便のにおいのする電車」と揶揄されたものだが、それも仕方がないと思える。


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高野線6000系。河内長野駅にて。1988年頃。


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極楽橋駅で並ぶ30000系クィーン「こうや」号。1988年頃。


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浜寺公園駅付近をゆく9000系6連急行泉佐野ゆき。1988年頃。
私の初恋の女の子の降りる駅、浜寺公園。


このあたりまでが、小学校時代の撮影分。
以降は、奈良に引っ越して以降、自分のカメラを買ってもらった中学~高校にかけての撮影分である。

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30000系特急「こうや」極楽橋ゆき。1983年に登場した「こうや」三代目車両である。
今宮戎-新今宮 1991年5月。


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9000系4連の普通みさき公園ゆき 箱作-淡輪 1992年3月


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7000系更新車6連による急行なんばゆき。淡輪-箱作。1992年3月。


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7100系更新車4連による普通なんばゆき。淡輪-箱作。1992年3月。
7100系の更新はこの頃始まったばかり。黒い表示幕とスカートが新鮮だった。


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9000系4連普通なんばゆき 淡輪-箱作 1992年3月


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全車10000系による特急サザンなんばゆき 淡輪-箱作。1992年3月
海沿いを走ったこの区間も現在では埋め立てられ、人口ビーチが造成された。
南海本線が海沿いを走る区間は、箱作-淡輪のほか、岡田浦-樽井および鳥取ノ荘-箱作の三か所あったと思う。岡田浦-樽井間の海岸は、潮干狩りの名所で、私も子供の頃家族で出かけた記憶があるが、今はすっかり埋め立てられた。
鳥取ノ荘-箱作間のみ自然海岸が残っている


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7100系更新車4連による普通なんばゆき。淡輪-箱作。1992年3月。
この撮影の後、たどりついた淡輪駅舎が趣深かった。今はどうなっているだろうか。


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7000系更新車4連による普通なんばゆき。箱作-淡輪。1992年3月。
7000系は1963年製造開始の、片開き車を今に残す古参電車。
2010年現在も現役だが、廃車が始まっている。


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7100系更新車による普通和歌山市ゆき。みさき公園。1992年3月


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7000系更新車による急行なんばゆき。孝子-みさき公園。1992年3月


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多奈川支線の1521系。みさき公園。1992年3月。


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県境の孝子峠を越え、孝子-みさき公園の山間の大カーブをゆく。
7100系更新車による急行なんばゆき。1992年3月。


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10000系による特急サザン和歌山市ゆき。みさき公園-孝子1992年3月


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7100系未更新車による普通和歌山市ゆき。みさき公園-孝子1992年3月。


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和歌山市駅。10000系特急サザンが停車中ほか7000系等が停車中。1992年3月。


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和歌山港線1521系。築地橋-久保町。1992年3月。
今はこの区間の普通電車は廃止され、特急のみとなった。中間の駅も廃止された。



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都会の中のローカル線としていまやすっかり有名な、汐見橋支線の撮影も行っている。
この頃から、電車そのものだけでなく、それぞれの路線沿線のもつ雰囲気や、置かれている社会的状況などにも興味を抱くようになってきた。

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汐見橋駅外観。なんば駅から西に外れること3キロ。1991年7月。
地下鉄駅等も近くにあり交通量も多いエリアだがこの駅だけは忘れさられている。


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汐見橋駅入り口から内部を臨む。自動改札はおろか切符販売も手売り。
一日中、ひっそりしていた。1991年7月。(現在では自動改札、券売機設置済)


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汐見橋駅内部。壁にかかっている路線図は昭和33年のもの。
撮影時は後ろを振り向いたところに売店があったが、現在は閉鎖されている。1991年7月


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ビル街に埋もれ、忘れ去られた汐見橋駅に停車中の1521系。1991年7月
それでも昭和40年代くらいまでは大貨物駅として賑わっていたそうだ。


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木津川-芦原町間を走る1521系。1991年7月。
この頃は20分間隔だった汐見橋線。現在では30分間隔となりさらにローカル度を増している。


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芦原町-木津川間を走る1521系。1991年7月。
沿線は川に沿った大都会のエアポケット的な地域である。


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汐見橋-芦原町間の1521系。1991年7月。


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汐見橋-芦原町間で大阪環状線のガードをくぐる1521系。1991年7月。


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1992年、関西国際空港の開港を3年後に控え、南海電鉄も生まれ変わるべく、新CI戦略を打ち出した。その戦略のひとつの目玉として、車両のデザイン変更があった。それまでの緑の濃淡が私は実はあまり好きではなかったので、この新塗装は斬新に感じられ、喜んで撮りに行ったものである。とくに車内のグレードも高い新1000系の登場も、喜ばしい出来事だった。
以下撮影のように、1993年頃までは、旧塗装の車両と混在しており楽しい時期であった。

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サザン用10000系も新塗装に。後ろに、やはり新塗装となった一般車をしたがえ、8両での運転。
特急サザン、和歌山港ゆき。なんば-新今宮。1992年7月


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7000系6連の急行和歌山市ゆき。新今宮-天下茶屋。1992年7月


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11001系の置き換え用として登場した2000系ズームカーの急行極楽橋ゆき。 (表示は高野山ゆき)新今宮-萩ノ茶屋。1992年7月
まだ新塗装化されていない頃。
この頃は高野線の急行電車はほぼ極楽橋までの直通運転(いわゆる「大運転」)であった。2005年以降高野線急行の大部分が橋本止まりとなり、ズームカーの活躍範囲は狭まった。


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新鋭1000系による急行なんばゆきと、エアコンフィルター(?)の清掃をする新今宮駅員。
新今宮 1992年7月


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8200系6連による区間急行林間田園都市ゆき。 浅香山-堺東 1992年7月
新塗装化されていない編成。


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堺駅に進入する9000系6連による新塗装の急行なんばゆき。湊-堺。1992年7月。
堺駅はかつて大貨物駅を併設していた。高架化直後のこの頃は駅周辺にその名残の空き地が多く残っていた。


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堺駅を出発する10000系4連+一般車4連の特急サザン8連。
この頃からサザンは8連を組むようになった。 堺~湊 1992年7月


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堺駅に進入する新塗装の9000系6連の和歌山市ゆき急行。堺。1992年7月。
登場時は4連ベースだったため普通運用が中心だった9000系だが
この頃から急行運用にもつくようになった。


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最後の活躍をする21001系ズームカー旧塗装車による急行極楽橋(高野山)ゆき。1992年5月


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後ろに新鋭2000系を従え新今宮駅に到着する22001系旧塗装車の急行なんばゆき。
通勤増結用ズームカーとして高度成長時代の高野線を支えた車両のひとつだが、新鋭2000系との併結時の相性が悪く、次第に高野線から退くようになった。1992年5月


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南海本線と分かれ岸ノ里駅に進入する6100系6連の各停北野田ゆき。
高野線の普通電車は、南海本線の普通電車が通過する今宮戎、萩ノ茶屋にも停車するため
区別のため「各停」と呼称する。今でも変わらない。1992年9月


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21001系ズームカー旧塗装車による急行極楽橋(高野山)ゆき。
1958年製造初年とすっかり老兵となった。1992年9月。天下茶屋-岸ノ里


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老兵21001系も最晩年に一部が新塗装化された。
後ろは旧塗装の22001系。1992年9月。天下茶屋-岸ノ里


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無塗装が身上だった高野線のステンレス車たちも新塗装化されていった。6000系ほか10連の準急光明池ゆき。
当時は朝ラッシュの泉北高速鉄道直通列車で10連が多数運行していた。現在では10連の本数はかなり減っている。1992年9月。


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汐見橋線の1521系2連。岸ノ里。1992年9月。
南海本線高架化のため、本来直通であった高野線と線路が分断されてしまった頃。
背後にかつての線路跡が見える。


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住吉大社駅より粉浜駅方面を臨む。1992年9月。


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新鋭1000系6連による急行和歌山市ゆき。住吉大社駅にて。1992年9月。
登場時の1000系にペイントされた「NANKAI」のロゴは 現在のものより太く丸っこい字体で、親しみが持てた。


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1992年9月のなんば駅。
旧塗装の南海本線7000系の後ろに新塗装の10000系サザン、1000系、その後ろに高野線車両が並ぶ。


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登場間もない1000系電車6連による急行なんばゆき。
1000系のスタイルは斬新でありながら人懐っこく、お気に入りであった。今宮戎。1992年7月。


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複々線上で行き交う南海本線電車と高野線電車。7100系4連の普通高石ゆき。
高野線は左が8200系、右が6100系。1992年7月、なんば-今宮戎。


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1000系6連の急行泉佐野ゆき。1992年7月。なんば-今宮戎。


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泉北高速鉄道3000系6連の準急光明池ゆき。1992年7月。なんば-今宮戎。


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9000系6連による特急和歌山港ゆき。なんば-今宮戎。1992年1月。
当時はサザン以外の一般車だけによる特急は本数が少なく希少であった。


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7000系更新車による回送電車ほか。1992年1月。なんば-今宮戎。1992年1月。

上2枚は、リバーサルフィルムをためしに使い始めた頃のもの。

なお、リバーサルフィルムを生まれて初めて使用した、記念すべき撮影行の記録が以下の通り。

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なんと、初のリバーサル撮影行は、よりによって貴志川線。
ライティングがボロボロで、御覧の通り惨敗。リバーサルフィルムの難しさをしっかりと思い知らされた。
貴志川線は当時まだ、元南海本線のエース1251形が残っていた離れ小島の線区。
しかし、1251形の古風さは、南海本線の7000系などと比べても明らかに時代がかっており、
あまりなじめなかった。

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貴志川線1251形 和歌山ゆき。岡崎前-竃山。1991年7月。


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貴志川線1251形 和歌山ゆき。竃山。1991年7月。


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貴志川線1251形伊太祁曾ゆき。 吉礼-伊太祁曾。1991年7月。


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貴志川線1251形 和歌山ゆき。撮影地不詳。1991年7月。


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貴志川線1251形和歌山ゆき。 伊太祁曾-吉礼。1991年7月。



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好きな街と絡めてみる、ということを始めたのは高校にあがった1992年ころからである。

<南海電車が走るまち その① 帝塚山>

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帝塚山駅前の踏切。岸ノ里、玉出という大阪市内の下町を抜けてわずかひと駅めが帝塚山。
この駅の周辺だけは、空気が違っていた。かつてのお屋敷街は、のんびりして、かつどことなくおしゃれな雰囲気を持っており、駅前には有名なお嬢様学校、帝塚山学院があった(今もある)。
1992年当時、関西ではすでに自動改札が当たり前であったが、帝塚山駅だけは都心にほど近いのに、改札機等無く、切符の販売も手売りであるのも奥ゆかしかった。


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帝塚山駅下りホームをのぞむ。1992年5月。


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帝塚山駅上りホームにて。1992年5月


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帝塚山駅上りホームにて。1992年5月


いかにも帝塚山らしい、容姿端麗な女性が写ったこの2枚の写真は、クラスで大ヒットを飛ばし、隣のクラスからも見に来る生徒がいた。鉄道を撮っていると言いつつ結局はただのオンナ好きであるということがばれてしまった。

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住吉東-帝塚山間を走る30000系「こうや」なんばゆき。 1992年5月。



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<南海電車が走るまち その② 釜ケ崎・飛田>

帝塚山からそれほど離れていないのだが、少し場所を変えただけで、まったく正反対の表情を見せるのが大阪という街の面白さでもある。
天王寺支線は、1984年に今池町-天下茶屋間が廃線となり、それ以後は今池町-天王寺間のごく短い距離の閉じ込め運転となっていた。ご存じのとおり、この界隈は大阪市内でもとくに濃密な、なんというか、独特の空気を漂わせており、「行ってはいけない地域」等とも一部で言われていた。「行ってはいけない」と言われると行きたくなる年頃であった私は、何度もこの地域に通い、ごろごろと転がっているばかりの薄汚い単行の1521系とともに、時には街の風景を撮っていた。

その地域は、恵まれて育ち、家族とともに郊外住宅地に暮らす私にとって、異世界であった。興味本位と、ひとはいうかもしれない。しかし、このような世界があることを知り、そしてそこで暮らしゆく人々の生きざまを目のあたりにしたことは、思春期に私に決して少なくない影響を与えた。

興味のある方は、「釜ケ崎」「飛田」で情報を是非検索し、そして是非現地に足を運んでもらいたい。
今はもう、この煤けた電車は走ってはいないけれど。

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飛田本通駅界隈の風景。
いわゆる「釜ケ崎」地区のただなかを走る天王寺線は、1984年以前は、複線の路線を2両編成の電車が行き交い、まだ面目を保っていた。しかし、それ以後は単行の旧型電車が単線となった線路を時折往復するだけの路線となり線路も荒れ果ててしまった。打ち捨てられたゴミに、ハトやカラスが群がる。1992年3月。


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今池町駅から飛田本通駅方面にやってきた1521形天王寺ゆき。 
線路周辺に散乱するゴミが、この地域の特殊性を物語る。
左側に、使われなくなった複線時代の線路がそのまま残っている。1992年3月。


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閉じ込め運転になってから、旧下り線跡地を利用して開設された飛田本通駅。
商店街は通天閣のある新世界と飛田遊郭を結ぶ、かつての繁華街だった。1992年3月。


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今池町から飛田本通へ向かって来る1521形天王寺ゆき。1992年3月。
なお、線路にバラストが敷かれていないことにお気づきだろうか。
この地域では、過去「西成暴動」と呼ばれる暴動が何度も起きており、その際に電車への投石等も実際に発生していることから、バラストが取り除かれた。


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飛田本通-天王寺。1992年3月。


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飛田本通-天王寺。1992年3月。


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飛田本通-天王寺。1992年3月。


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今池町駅。上は阪堺電軌の今池駅。1992年3月。


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天王寺線を往復する1521形の車内。1521形は南海の各支線で運行されていた釣り掛け車。
とくにこの天王寺線用の車両は車内外とも薄汚れてひどかった。1992年7月


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線路内で犬を散歩させる女性。飛田本通-今池町。1992年9月。


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晴れた日には、この街のたくましさが垣間見えるように思えた。飛田本通。1992年9月


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天王寺-飛田本通。1992年9月。


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天王寺駅。1984年までは国鉄と並んで立派なホームがあり、貨物扱いもあったようだが、閉じ込め運転となってからはホームは閉鎖され、目につかないガード下に穴蔵のように薄暗い仮設ホームが設けられただけとなった。1992年3月。


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天王寺を出てしばらくは、JR大阪環状線、関西本線と並走していた。
複線時代の旧上り線が、赤錆びたまま残されている。1992年7月。


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JR天王寺駅の構内から南海天王寺駅への入口(右奥へのびる通路)。
小さな看板が出ているだけで本当に目に着かない。1992年12月。


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飛田本通駅界隈。線路内でハトにえさをやる女性がいる。1992年12月。


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今池町-飛田本通。1992年12月
冬の朝、この地域を歩くと道端で凍死している人がいたりする。
ここは、私達の住むすぐ隣の場所であるのに。


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再び飛田本通駅前の「動物園一番街」商店街。
この撮影直後、ある事件が起こった。飛び跳ねるように歩いてきたひとりの中年男性がロケットのように体を硬直させ、私のすぐ横に音を立てて倒れこんだ。男は、最初体をビクビクさせていたが、口から泡を吹いたかと思うとそのまま、動かなくなってしまった。
数人が集まってはきたが、「あ~、これはもうあかんわ」と、皆、すぐに立ち去ってしまった。
男は体を硬直させ、白目を剥いたまま、そのまま路傍に転がっていた。
手を合わせる人さえも、いなかった。1992年12月。


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高野線萩ノ茶屋駅。今池町駅から、やはり釜ケ崎を貫く商店街を抜けたところがこの駅。
漫画「じゃりん子チエ」によく登場する、チエのホルモン屋の最寄り駅でもある。1992年12月。



さて、飛田本通を少し南に行くと、そこにまた妙な異界が広がっている。天王寺から、当時まだ一部が残っていた旭町商店街を下って、その窪地にたどり着くこともできる。その地域の名は「飛田新地」。
ここ、飛田の街は江戸の昔からの、由緒正しい遊郭街。
まだ朝なのに、学ランを着た私にさえ、通りを歩けばおかみさん達が声をかけてくる。「兄ちゃん、兄ちゃん、こっちこっち。可愛い子いるよ、どう、この子、見てやって」。
 
建前上は、みな料亭。店はそれぞれ、風流な屋号を名乗っている。しかし、精力剤や避妊具が公然と並ぶ自動販売機等をみれば、この地域の実態がいかなるものかは、中学生にも理解できる。
そう、ここ飛田は、れっきとした、現役の赤線なのだ。

おそるおそるのぞき見た、大人の異界。
春をひさぐ女性達が、ライトを浴び、綺麗な衣装を羽織ってお店の玄関に座っている。客引きはおかみさんの仕事。女性達は、一言も言わず、ただ艶めかしく座り、ほほえんでいるだけである。
そんな女性たちは、決してうらぶれた感じには見えなかった。むしろその中の数人は、まるで天女のように神々しく見えた。

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夕方を迎え活気づいてくる飛田の町。
「トルコ温泉」の看板があるが、当時飛田にもソープランドがあった。
今は廃業している。1992年9月。


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朝の飛田。上の写真とほぼ同じ場所。1992年12月。


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朝の飛田。いかにも色街ならではの、風情のある街並みは全国的にも珍しいのではないか。
打ち水がそこここで行われ、今も特有の秩序を保っている。1992年12月


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その昔、遊女たちが逃げないように作られ、飛田の街を取り囲んでいたという通称「嘆きの壁」。
のちに風紀上良くないという理由で大阪市により取り壊され、現在はフェンスになっている。
1992年12月



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<南海電車の走る街③ 泉北ニュータウン>
正確には南海の路線ではないが、もはや南海の一支線のような扱いだった泉北高速鉄道線。オリジナルの車両も持っており、中でも1990年に登場した5000系は、丸っこくて私好みだった。
泉北高速の撮影には、再びリバーサルフィルムを使用した。貴志川線のリベンジを誓ったが、これもうまく撮ることができなかった。

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深井駅に進入する6000系ほか10連の準急光明池ゆき。1992年1月。


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深井駅に停車中の5000系8連の各停中百舌鳥ゆき。1992年1月。
南海車が「中百舌鳥」と表記するのに対し、泉北高速車は「中もず」と表記。


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5000系8連の各停中百舌鳥ゆき。1992年1月。


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深井-泉ヶ丘を走る5000系8連の各停光明池ゆき。1992年1月。
この時点ではまだ泉北高速線は光明池が終点であった。


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団地群を抜け泉ヶ丘駅へ接近する3000系8連の下り電車。深井-泉ヶ丘。1992年1月。


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泉ヶ丘-深井間を走行する5000系8連の上り電車。1994年8月。


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3000系6連による準急なんばゆき。栂・美木多-泉ヶ丘。1994年8月。


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5000系8連の各停中百舌鳥ゆき。栂・美木多-泉ヶ丘。1994年8月。


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栂・美木多-泉ヶ丘で行き交う電車。1994年8月。

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3000系6連の準急光明池ゆき。泉ヶ丘-栂・美木多。1992年1月。


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光明池方面から勾配を上がって来る3000系6連の準急なんばゆき。
光明池-栂・美木多。1992年1月。


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栂・美木多-泉ヶ丘を走る5000系8連の準急なんばゆき。
5000系は南海の運転士が不慣れな指令式ブレーキ(南海は当時殆ど直通ブレーキ)だったため、登場からしばらくは線内折り返し専門だった。南海(なんば)直通が解禁となった直後の頃。
1994年8月。



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<南海電車が走る街④ 高師浜>

今は工場地帯となってしまった浜寺地区だが、かつては白砂青松を誇る自然海岸で、高師浜支線沿線はその美しい海岸を望む高級住宅地であった。今も、大正モダンを感じさせる高師浜線の駅舎などに、その名残を感じることができる。
これは受験を控えた1994年に撮ったもの。何度めかのリバーサルだが、結果はやはりいまひとつである。この頃になると支線区から薄汚い1521形がほぼ引退し、元高野線のズームカー22001系を改造した2200系に置き換えが進んでいた。

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2200系2連の高師浜ゆき。伽羅橋駅。1994年8月。


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伽羅橋駅。1994年8月。
かつての高級住宅地らしい落ち着いた駅前風景。


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今は工場地帯となった大阪湾を望む。
かつては砂浜海岸沿いに洋館が立ち並ぶ、風光明媚な沿線であったそうだ。
伽羅橋-高師浜。1994年8月。


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<南海電車が走る街⑤ 西天下茶屋>

これも④と同じ時期の撮影。南海電車の撮影は終了したが、汐見橋線のうらぶれた雰囲気や、西天下茶屋駅の風雅な駅舎の撮影などは社会人になってから何度か行っており、「旅と写真と文章と」の大阪編等に今後アップする予定である。

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夕暮れの西天下茶屋駅に進入する1521形2連の汐見橋ゆき。
周辺は大阪でも最もディープな部類に入る、純然たる下町。情緒あふれる街並みである。1994年8月


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津守-西天下茶屋を走る1521形2連の岸里玉出ゆき。
他の支線区に2200系が転入してもまだ汐見橋線は1521形がガラガタ走っていた。1994年8月。


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夕暮れの汐見橋線にて。西天下茶屋駅付近から津守方面を臨む。
岸里玉出ゆきの電車が接近しつつある。 1994年8月。


以上




















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コメント 2

炎火轍

懐かしい写真を沢山拝見できて嬉しく思います。
写真は未来へのタイムカプセルですね。
ありがとうございました。
by 炎火轍 (2014-05-20 21:08) 

風旅記

こんばんは。はじむまして。
南海は、関東の私にはまだ未知の世界、大変興味深く拝見しました。
土地の名前は聞いたことがあれど、土地勘はなく、想像を膨らませながら楽しませて頂きました。
天王寺への支線、今はどうなっているのでしょうか。
天王寺には行ったことがありますが、このような路線があったことを初めて知りました。特にお写真に惹かれました。
いつか、街を歩きに行きたいと思い、コメントを入れさせて頂きました。
他の記事も拝読致します。
今後とも、宜しくお願い致します。
風旅記: http://kazetabiki.blog41.fc2.com/?pc
by 風旅記 (2015-04-15 22:24) 

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