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日本の町散歩(中国・四国) ブログトップ

牛窓 2015 [日本の町散歩(中国・四国)]

「日本のエーゲ海」としてこの十数年来売りだしてきた瀬戸内の牛窓。穏やかな多島海、気候は温暖で、オリーブ栽培とマリンスポーツがさかんとくれば、エーゲ海になぞらえたくもなるのも分からなくもないが、その一方で、一歩路地に入ると古くからの町並みが残っている場所でもあるという。
古代から潮待ち、風待ちに良いとされてきた天然の良港が瀬戸内地域にはいくつかあるが、じつは牛窓もそんな悠久の歴史を持つ街のひとつ。「唐琴(からこと)の瀬戸」と呼ばれ参勤交代一行や朝鮮通信使の停泊地としても栄えたという。
ある夏の日の午前、そんな相反する魅力を持つという牛窓を私も歩いてみた。

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玉島 2015 [日本の町散歩(中国・四国)]

「香ばしい町並み」という表現がある。歴史が古く由緒正しい町並みを指す言葉なのだが、往時の町並みがよく保存整備されている場所に対して使われるのではなく、今は顧みられず干からびて、朽ちてゆくような町並みを指すもののようだ。玉島は、そんな表現が似合う街である。
高梁川の河口(三角州)に位置し、かつて備中松山藩が大規模に行った干拓、新田開発によって生まれた街は、備中松山城下(現在の備中高梁)と高梁川の水流によって結ばれ、同藩の藩港として廻船問屋が立ち並ぶ等して大いに栄えた。明治以降も瀬戸内の重要な港湾都市としての存在感を保ち続けたが、昭和以降は次第に衰退していったという。そして、昭和後期から平成以降のモータリーゼーションの進展は、玉島という街をもはや街でなくしてしまった。
「昭和レトロ」を売りにした街おこしもそこそこに、玉島は今も朽ち続けている。単なる「ノスタルジー」という言葉を通り越した何がしかの感慨を覚えるという意味で、非常に歩きごたえのある場所であった。

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備中高梁 2015 [日本の町散歩(中国・四国)]

備中高梁は、中国山地の山間にある由緒正しく美しい城下町である。古くは松山と呼ばれ、その中心となった備中松山城は現役の天守を持つ城としては最も高い位置にあり、いまも日本三大山城のひとつに数えられている。
それにしても、この城下町の清々しい空気はどうであろうか。緑に囲まれた盆地は、深山幽谷といっていいほど彫り深く、その中央を、高梁川の渓流が川岸を洗わんばかりに音をたてて流れている。夜明けごろ、町には決まって霧が立ち込め、しだいにそれが晴れてくるにつれて、朝露に濡れてしっとりした城下町の家並みが現れ出る。それは堂々として、決して小さな町ではないのに、同時に、主張しすぎない謙虚さを感じさせ、まことに好ましい。
この町の造成を担当したのは、文化人、芸術家としても名高いあの小堀遠州(小堀政一)であるというが、その美意識が、いまに至るまで受け継がれているのではないかとさえも、思ってしまう。

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日生 2015 [日本の町散歩(中国・四国)]

日本全国を見ても、駅の目の前がすくに海であるというロケーションは、意外に少ない。だが、JR赤穂線の列車に乗っていると、突如として視界が開け、きらめく瀬戸内の海に躍り出て停車する駅がある。それが「日生」と書いて「ひなせ」と読む、この駅である。瀬戸内でも最も東に位置する地域となり、観光地として著名なわけでは決してないが、鹿久居島をはじめ瀬戸内海に浮かぶ日生諸島へ渡ることができるほか、小豆島への大型フェリーの発着もある。最近では名産の牡蠣がたっぷり入った「カキオコ」が食せるお好み焼き屋が多く集まることでも知られ、春はアナゴにサワラ、夏はエビと、食通をも魅了する漁師町なのだ。瀬戸内の海のかがやきと、ジューシーな「カキオコ」の匂いに誘われて、私もふらりと列車を降りてみた。

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鞆(鞆の浦) 2013 [日本の町散歩(中国・四国)]

鞆は瀬戸内でも古代から潮待ちの港としてとくに栄えた地である。万葉集にもその名が登場するというから並みの歴史ではない。平安・室町時代から江戸時代にかけても、朝鮮から日本への使者は決まってこの鞆に寄港し歓待を受けるのが通例であったといい、その迎賓施設の跡も今に残されている。
現在の鞆の港およびその周辺市街は、主に江戸時代に形作られたものというが、その頃から区画や街路は殆ど変化がないばかりか、当時の港湾施設である「常夜燈」、「雁木」、「波止場」、「焚場」、「船番所」のすべてがそのまま残っている。
もちろん今の鞆は近隣の走島と仙酔島へ向かう定期航路が発着するほかは、時代に取り残されたような小さな漁港といっていい場所である。私はここを2004年の夏に初めて訪れているが、歴史遺産としての魅力はあれど、静かでなんだか色褪せたような町だという印象を持ったものである。
しかし、それからさらに10年近くが経ち、いつの間にかその古さがゆえにスポットライトがあたる時代になってきた。今回ふたたびここを訪れてみると、町には気の利いたお店や施設も増え、訪れる人の数も増えて、かつてよりもずっと生き生きとして見え、私は印象を新たにした。

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下津井 2012 [日本の町散歩(中国・四国)]

下津井は、歴史ある瀬戸内の港町である。古代奈良時代からすでに風待ちの湊として賑わっていたらしい。江戸時代以降は、四国への船が発着する玄関口でもあったし、北前船の中継地に指定され、問屋や遊郭等が並び町はますます賑わったらしい。明治以降も、下津井の重要性は変わらなかった。この下津井から四国の丸亀へ向かうフェリーは重宝され、その連絡のために、岡山方面からこの下津井へ、鉄道も敷かれた。

いま、この歴史ある下津井の町を歩く人は、ごくわずかである。長い歴史を持った丸亀航路は消え、岡山方面とを結んでいた下津井電鉄も、とっくの昔に廃線となった。町は、往時の街並みそのままに、瀬戸内の明るい日差しに照らされ、うつうつと眠るように今もそこに横たわっている。


真上を、瀬戸大橋を渡るトラックやJR瀬戸大橋線の快速電車が、ひっきりなしに通ってゆく。


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下津井地区


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笠岡 2009 [日本の町散歩(中国・四国)]

倉敷と福山の間、山陽本線の列車の車中から、ひときわ歴史ある街並みが続くのが見える。古くから天然の良港として知られた、笠岡の町である。山間部への街道筋も整備され、物資の集散地として栄えた城下町でもあったらしく、車窓からは蔵や商家だったらしき建物も散見される。
かつて山陽本線に長距離列車が多数走っていたころは、急行列車も停車したという、瀬戸内有数の要衝の地であった。

興味をひかれ笠岡駅で降りて、わずか半日ではあるが、周辺を散策してみた。

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HOLGA de ONOMICHI 2008/09 [日本の町散歩(中国・四国)]

HOLGAは、トイカメラの王様と言われているが、硬派?な私には縁のないものだと思っていた。
しかし、何かどうなったのか分からないが、ひょんなことで入手してしまった。

レンズはプラスチック。このピントの合わない、ゆるーいカメラで何を撮るべきか?

結局、尾道がいいと思った。

はたして、どうなることやら。

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尾道 2004‐09 [日本の町散歩(中国・四国)]

 私が二十歳になる前、ちょうど、駅で改札の仕事をしていた頃である。仲の良かった同僚が、ある日の夜、突然、リュックサックを背負って職場に現れた。今から、ひとりで夜行列車に乗り、尾道というところに行くのだという。

 そこがどんなところなのか、聞いてみたいと思ったが、私は改札口での業務に忙しかった。「なんで尾道なん?」とだけ聞くと、彼は子供のような丸い目をして、「だって、尾道、いいじゃん!」とニコニコしている。私が接客を済ませて振り返ると、だがもう彼はそこにいなかった。改札口の向こうへと駆け出していった彼の、青いリュックが楽しげに揺れるのが、ちらりと見えた。

 私が念願の二輪免許を取得したのは二十七歳になってからだった。なんとかその年は夏休みを確保し、生まれて初めてのツーリングに出かけることにしたが、前日になるまで、行き先を考える余裕はなかった。いよいよ明朝出発だという晩、東へ向かうべきか、西へ向かうべきか、と考えあぐねた私の脳裏に、突然、あの小さなリュックが映し出された。  ・・・眠れなかった。次の朝がきて、太陽が昇り始めたころ、もう私は、瀬戸内の海岸沿いを、尾道目指して疾走していた。


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海雲塔下の道

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萩 2005 [日本の町散歩(中国・四国)]

津和野の後に訪れた、萩の町。
日本海に面した毛利氏36万石の城下町であるとともに、
幕末にはあの松下村塾があった町である。

木戸孝允、高杉晋作等、言わずと知れた明治維新の指導者を数多く輩出した萩の町。
そこは、津和野よりもずっと広く、人口も多いはずなのだが
なぜか静謐が町を支配し、とりとめなく広がる遺跡のように
もの言わぬ、その剛毅な滅びの風情が、私を魅了した。


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城下地区、菊屋横丁の風情。かつては商家が並んだという。

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津和野 2005 [日本の町散歩(中国・四国)]

バイクの免許をとって最初の夏は、尾道に行った。
翌年の夏は、さらに遠出となる津和野、そして萩へ行った。
京都から、名神と中国道を乗り継いで向かった二つの町は、
まるで対照的な表情を私に見せてくれた。

最初に訪れたのは島根県の津和野。
山脈を裂くがごとくぶっ飛ばしてきた中国自動車道を六日町インターで降り、
津和野街道でさらに山を分け入ると、
小さな盆地が開け、津和野のささやかな町へ下りてゆくことができた。

町の中心を高津川が流れる津和野藩、亀井氏の城下町は、
かつてそこが武家の町であったとは思えないほどに優美な風合いを持ち、
女性的でしとやかな空気に静かに包まれていた。

さっそく、中心部にある小さな旅館に投宿し、町を散策してみた。

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高津川に沿って。町方向を臨む。



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