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冬の渋(湯田中・渋温泉郷) [日本の町散歩(中部)]

20代の頃、温泉にハマっている友人がいた。彼は箱根や伊豆などの温泉地で鄙びた宿を探しては泊まっていたが、温泉などジジイが行くものだと思っていた私は、ほとんど興味が湧かなかった。

そんな私も、子供からオジサンと呼ばれる年頃にさしかかり、温泉というものも、たまには良いのではないかと思うようになってきた。
泉質やら効能やら、湯そのものについて蘊蓄を語る資格など私にはない。ただ、「湯の町」いう言葉の響きに惹かれ、私も、下駄を履き、浴衣の襟を正して、古き良き、正しい日本のオッサンとしてまっとうな道を歩むのもよかろうという気がしているだけだ。

そんなこんなで、冬のある日、長野県の渋温泉を訪ねた。
志賀高原の山麓に9つもの外湯を宿し、昔ながらの温泉情緒を残した小さな渋温泉の街歩きである。

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秋の小布施 [日本の町散歩(中部)]

人口1万人ちょっとの小布施町は、行政区画上では長野県で最も小さい町だそうだが、いまや年間100万人もの人が押し寄せる観光地。「町おこし」の成功例としてよく取り上げられる場所でもある。

実は私はひょんなことで1990年ごろから小布施の名を知っていたのだが、当時はまだ町おこしが始まったばかりの頃で、北斎の美術館があり栗が名産ということくらいしか情報がなく、あらためて訪ねてみる機会もなかった。しかし、最近になって書店の観光ガイドの棚にふと目をやり、「小布施」の名前がタイトルに入っているものが多いことにすっかり驚いてしまった。北信濃地区のガイドブックの背表紙には軒並み小布施の名が踊り、中には「小布施・長野」と、県都長野市さえも差し置いて上位にその名が冠されているものまである。

たかが10年そこそこでこの成果。私は小さな驚きと、決して小さくない期待を胸に、慌ててバイクに飛び乗り、訪ねてみた。

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小布施町小布施(新生病院)

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夏の須坂 [日本の町散歩(中部)]

須坂は北信濃地区でも人口5万を超える大きめの町である。
明治期には繭の集散地として養蚕業で栄え、
一躍北信濃随一の商業都市として賑わいを見せたそうだ。
日本の製糸産業が衰退して久しい今、須坂の町はとても静かで、人の姿も車の数もまばら。
観光地としても、隣町の小布施の景気とは程遠いのどかさだ。
それでも老舗の呉服屋をはじめ、数多くある酒蔵や味噌蔵はどれも健在で、
伝統的な技と意匠を生かした新しいお店もまた少しずつ増えてきている。

静かではあるが、侘しさはこれっぽっちもなく、
どこか堂々として落ち着いて、貫禄さえ感じさせるこの町の散策は気持ちがいい。
女性的でこまやかな造作が美しい小布施とはまた違った、
もっと気ままで、もの言わず鷹揚とした「男の魅力」に包まれた須坂の夏を堪能した。

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田中本家博物館

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春の松代 [日本の町散歩(中部)]

北信濃は千曲川のほとりに位置する松代は、武田信玄が山本勘助に命じ築かせた海津城(松代城)の城下町である。江戸時代には真田氏が入場し、十万石を有する雄藩の中心地として、有名な「真田文武学校」なども置かれ栄えた。

いまの松代は、長野市に編入され、あまり観光ガイドなどにも取り上げられることの少ない、静かな目立たない町である。しかし、今でも武家屋敷、町屋、寺町などが残り、十分に往時を偲ぶことができるだけでなく、かつて武家の町として君臨してきた誇りと、質素倹約、文武両道を旨として藩政を行った真田一族の思いが、今もそこここに感じられ、歩けば自然と背筋が伸びる。

華美を排した質実剛健な家並み。由緒正しき門構えのその脇から、控えめに見え隠れする四季の花々の奥ゆかしさ。町の外に広がる豊かな里山のいきいきとした美しさ。観光客に積極的に挨拶してくれる地元の学生たち。寺社も多く、目的なしにぶらぶらと歩いて、ただの田舎町ではないこの町の歴史の断層を垣間見るのは楽しい。

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本誓寺(寺町)

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武蔵野(1) 2008-09 [日本の町散歩(関東)]

 先ごろまで、東京の西のはずれにある東久留米というところに住んでいた。池袋から郊外電車でわずか20数分という便利な場所で、駅前のロータリーを取り囲むように高層マンションが並ぶ。そんな真新しいマンションの一室が私の部屋であった。
 不思議な場所だった。林立する高層マンションに囲まれていても、夜になると、廊下まで涼やかな風が吹き込み、ほのかな草の匂いがした。遠くざわざわと、林の鳴る音が聞こえた。

 マンションの脇には、取り残されたようなかぼそい商店街があり、つきあたりまで進んだところに、それはそれは小さくてお粗末な、東久留米駅の旧駅舎が、大規模な新駅とマンションに挟まれて、しかしまだ現役で残されていた。
私は、昭和24年建造というこのおんぼろ駅舎が好きだった。眺めているうちに、かつて一面の農村だった頃のこの地の様子が、ありありと浮かんくるからだ。

 さえぎるものの何もない、武蔵野の真っただ中の小さな駅。土埃のもうもうと舞う駅前のあぜ道を、籠を頭上に載せた老婆が歩き、手押し車やリヤカーが行き交った頃があっただろうか。
 高度成長の時代が来て、畑や雑木林は切り開かれ、そこにたくさんの団地ができた。ちょうど、私達の父母の世代である。この小さな駅の改札を、明日を信じる多くのサラリーマンパパが利用し、雨の日には、妻であり母である多くの女性たちが、ジャノメ傘で迎えに集まっただろう。
 そんな武蔵野の移り変わりを、私は想像して楽しんだ。そして、武蔵野の歴史の残り香を、もっと探してみたいと思った。

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東久留米駅北口駅舎。2008年8月

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