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京都 2003-05 [日本の町散歩(近畿)]

京都に対する私の思いは、多少複雑だ。
中学→高校とむさ苦しい男子高にカンヅメにされ、6年間、通った場所。
そして、社会人になって東京を離れ、また戻ってきた場所。
私がサラリーマンとして勤めた会社の本社もまた、京都だったのだ。

いわば京都は私の青春の地であるわけだが、
青春の思い出というものが、決して甘いものではないように、
私の京都での思い出は、つらい唾液と涙の味が含まれている。
とりわけ、社会人生活の最初の数年の、ほぞを噛むような日々の記憶は
京都の風景と私の中でわかちがたく結びついている。

社会人になって3年目、少し気持ちも落ち着いてきたころ、
私はなけなしのボーナスで、現在の愛用機であるNIKON FM3Aを購入した。
そして、自分の身の回りの京都の風景をスナップするようになった。

学生時代からの社会人生活のブランクを経て、写真を撮るということを、私はまた始めた。

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「哲学の道」の春


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働くということ [少しまとまった文など]

以下は、ある問いかけに対して私が書いた回答である。
久しぶりに読み返して、なんだか面映ゆいものの、あらためてしっかりしなければと改めて思った。
自分の書いたものを読んで、自分が勇気づけられるというのも変な話だが、
これを書いた時の自分の気持ちのようなものを忘れたくないので、ここに掲載しておく。
やっぱり、どんな形であれ、自分の考えを文章にしておくことは大切だ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

社会の中で生きるということは、「他の人間にとっての自分自身の存在理由」をつくることだと思います。
それがあって、お互いに支えあって社会を構成し、だからこそ、自分にお金を払う他者が存在し、
自分の生存が可能になります。

そういう意味では、
彼は、やり方はともかく、社会に受け入れられる存在になろうと努力しているといえます。
ただ、彼のやり方が、本当に社会に受け入れられる結果になるかどうかは、
質問者さんの書かれている内容だけから見ると、かなりあやしいといわざるを得ません。
うわべは社会的でも、実際はそうではない、と質問者さんがいいたい気持ちはよくわかります。
ただ、彼はあなたが知らないところで、何かしら自分の中に、社会のためになるような財産を
蓄積をしているのかもしれませんよ。

一方、あなたは、表現意欲、作る意欲があるということで、それ自体は非常によいことだと思います。
あなたは、一個の人間として、表現することを覚えた。それは、社会の中に埋もれてしまわない、
一個の人間として明確な意思を持ったということです。すばらしいことです。
彼に対してギャップを感じるのも理解できます。

ただ、それをもって、自分の世界にこもって社会から逃げてしまうのか、
「俺の表現はどうだ!」と社会に対峙し、対話し、切り込んでいこうとすることとは、
まったく別の見解になってしまいます。

後者の意味で、あなたが覚悟を決めて「当面食えなくてもいい」と言っているのであれば、応援します。
でも、前者の意味なら、「存在理由」をはじめから放棄しているので、「勝手にしたら」としかいえません。
あなたは真面目に生きているつもりとありますが、大変不真面目だと思います。
われわれは、そんなあなたのためにも、税金を払っているのです。

あなたはどっちなんですか?


もう少しやわらかい話をします。
あなたは、なんのために、表現するのでしょうか。作るのでしょうか?
そこが問題です。
あなたの表現活動は、社会に対して向けられていますか?
創作の際に、他の人が見て何かを感じてもらいたいと、少しでも願っていますか?

これは、表現、芸術ということの根源にかかわる話だと思いますが、
あなたは、単に、自己満足のためだけに表現活動をしているのでしょうか。
「自分の信念のためなら、喰えなくてもいい」とありますが、あなたの信念とは何でしょう?
好きなことを貫くというだけの、自分の世界の中での信念でしょうか。
もしあなたが本当の天才なら、あなたが単に好きなことを追求していても、
世の中のためになることだってあるかもしれませんが、あなたは天才でしょうか?

ベートーベンだって、アラーキーだって、「自分の芸術なんか誰にわかってもらえなくてもいいんだ」
などとは思っていなかったと思います。
自分の得た感動を伝えたい、誰かの心を奮わせられる存在になりたい、
自分の考える問題を具体化して人々につきつけたい、
そういう社会に対する目的を、本人が自覚していたかどうかはともかくとして、
しっかり持っていたはずです。
その目的が達せられるまで、時間がかかる場合だってあるでしょう。
そのために、貧困に苦しまなければならないことだってあるでしょう。
でも、それでも、ベートーべンは社会から逃げていたわけではないでしょう。
希望を、意思を、目的を捨てず、第九のような巨大な人間賛歌を書いたわけでしょう。
アラーキーは、一般人から馬鹿にされ続けても、社会に対して活動を続けるのでしょう。
だから、結局は社会は評価し、存在理由を認める。

創作活動において、あなたが、他の人もこれを見て、共感してくれたら!
何かを感じてくれたら、なんらかの影響を社会に与えられたら、と、
少しでもおもうなら、「食えなくてもいい」などと言わず、
真剣に認められることを目指して活動すべきだと思います。

表現できる主体性を持つということはすばらしいことです。
おっしゃるとおり、就職はひとつの道に過ぎませんので、
あなたもそうしなければならないということはありません。
でも、表現は、自分の中で閉じられていては、何の意味もありませんし、社会の迷惑になりかねません。
社会に対して、堂々と表現活動をはじめてみてください。

あなたは、この世から、他人よりも多くのものをインプットしているはずです。
美しいもの、楽しいもの、・・・あなたは感受性が豊かであるわけで
それはあなたの幸運であり、才能でもあると思いますが、
いずれにせよ、恵まれているのです。
インプットしたのなら、自分を媒介にして、世の中にアウトプットとして、返していかなければなりません。

芸術でも、ビジネス(就職)でも、話の根本は同じです。
(誤解してるかもしれませんが、ビジネスだって表現活動ですよ)
自分の存在理由を、主張し、問うてみてください。
社会に受け入れられないなら、なぜだろうと悩み、もがいてください。
それが、社会に生きるということです。


2009年3月

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