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大阪(飛田) 2007 [日本の町散歩(近畿)]

大阪には異界のような場所がいくつかあるが、その最たる場所とも言えるのが、この飛田(飛田新地)であろう。日本屈指の超高層ビル「あべのハルカス」からほど近い窪地に、その町はある。
ここ、飛田の街は江戸の昔からの、由緒正しい遊郭街。 建前上は、みな料亭で店はそれぞれ、風流な屋号を名乗っているが、しかし、精力剤や避妊具が公然と並ぶ自動販売機等をみれば、この地域の実態がいかなるものかは、誰にも理解できるだろう。そう、ここ飛田は、警察も手を出せない、れっきとした現役の赤線なのだ。

夜ともなると、春をひさぐ女性達が、ライトを浴び、綺麗な衣装を羽織ってお店の玄関に座っている。客引きはおかみさんの仕事。女性達は、一言も言わず、ただ艶めかしく座り、ほほえんでいるだけである。
そんな女性たちは、私には決してうらぶれた感じには見えなかった。むしろその中の数人は、まるで天女のように神々しく見えた。

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諸事情により、本編の写真は上の一枚のみである。
(夕暮れ時、飛田が活気づく少し前の時間の表情)

申し訳に、飛田に関して私が体験し垣間見た異界の実情を、つづってみようと思う。


別に隠すこともない、私もこの飛田の”お座敷”に数回上がったことがある。

町の真ん中を東西に貫く少し広めの道路を、大門通りという。
この北側が、若くてべっぴんさんが多いエリアで、南側が経験豊かな熟した女性たちが多くおわしますエリアのようだ。私は、当時まだ若かったので、北側のエリアを歩くことが多かった。とくに、最も北の通り(大門通りから北へ二本め、新開筋商店街の南側)を通称、青春通りといい、右を見ても左を見ても、どの店にもアイドルかと見まがうばかりの絶世の美女が座っており、歩くだけでまさに夢のような心地であった。

前記のとおり、ならぶお店の玄関先に、女の子が天女のように微笑みながら、ただ座っている。その横に、おばさんがいて、客引きと値段交渉を担当する。
気に入った女の子がいれば、その横にいるおばさんと直交渉し、話が成立すれば晴れてその店の客となり、靴を脱いでその女の子と一緒に二階の座敷に上がることができる。
私のお気に入りだった北側エリアでは、だいたい20分1万5千円とか、30分2万円などが相場だったように思う。もちろんもっと金額を積めば長くいられるが、貧乏サラリーマンだった若い私には、それくらいが精いっぱいだった。
二階にあがると、そこには小さなお座敷があり、小さなちゃぶ台に簡単なお菓子とお茶、そしてその横に可愛らしい布団が敷かれている。ちゃぶ台の前に座って女の子と少し話をしたあと、お互いに服を脱いで事に入るという次第である。

幾人かの女の子と、私はこともしたし、話もした。
北海道から東京や新潟等を経て流れてきたという女の子。ここが一番居心地がよく、長く居ついていると言っていた。お店にはちゃんと父や母代りのような人がいて、公私にわたって面倒を見、叱るべき時は叱り、守るべき時には守ってくれるのだという。先日、お店のある女の子がお客さんと良い仲になって籍を入れ、町を出ていった。そんなとき、「よかった」と言って家族のように皆で見送るのだそうだ。
母親が飛田の女性で、飛田で生まれ育ったという女の子もいた。学校には行ったとか行かなかったとか、父親が誰なのか、とか、微妙な話もあったが、飛田の町には警察もやくざも入り込めず、皆が団結しているのだとも言っていた。
明らかに、高校生か、ひょっとするともっと若いのではないかという女の子もいた。とびきりの美人で、肌は輝くばかりだったが、客を取るのに慣れていないのか、そういう行為自体に嫌悪感があるのか、最初からうつむき加減で涙をこらえているふうで、最後まで会話することもなく、目を合わせてくれることすらなかった。
そうかと思うと、元はOLをしていたが、ひやかしで男友達に連れてこられた飛田の街を素直にきれいだと思い、憧れて飛び込んできたというような女の子もいた。もちろん、そう決心するためには何がしかの事情があったらしい。ともあれ彼女は実にサービス精神旺盛だったことを思い出す。

こうした女の子の話を聞くと、この街の複雑な内実が少しだけわかるような気がする。だが、興味本位でそれをそれ以上解き明かすのは、女の子のためにもやめておきたい。

かつては日本のどこにでもあり、当たり前のように楽しめた色街。さいごの色街と云われる飛田には、いまもいざお店に向かう男達が集う銭湯もあり、戦いを終えた男たちが集まり武勇伝を競う居酒屋、喫茶店なども残っている。こんな飛田の街を歩いて、ただもう本能を掻き立てられ奮起する男性もいれば、見世物小屋のようだと落涙する向きや、女性蔑視だ、警察や行政は何をやっているのか等と憤る向きもあるだろう。

だが、人間の生というものが、男にとっても女にとっても、基本的にはつらく、複雑なものである以上、この街は、あるべくしてそこにあり、こうしていまも生きているのだ。そのことを肝に銘じて、この街を歩きたい。


※なお、飛田では写真撮影はご法度であり、自殺行為です。複雑な事情のある人々もいる。十分に配慮、ご注意頂きたい。

中学生から高校生の時分(1992年)に撮影した飛田の町並みの写真はこのページの終盤にあります。
→ http://club-carousel.blog.so-net.ne.jp/nankai#more

大人になってから飛田で写真撮影(本編掲載の一枚)した際に、私がたどった顛末については、このページに記してあります。
→ http://club-carousel.blog.so-net.ne.jp/2009-10-27-4#more
この中で私を追いかけた人たちは、決してやくざなどではなく、街ぐるみで組織している自警団のような人々だと思われます。

以上

撮影:2007年7月
本文:2014年9月


















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