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東京 1995-2000 [日本の町散歩(関東)]

多感な大学時代を過ごした街、東京。
それはもう、恥ずかしくなるくらいによく動き、よく遊び、よく悩んだ青春の日々。
女性の影こそ薄かったが、よき友人たちに囲まれ、夢、志、ビジョン・・
・・もったいないくらいに多くのものを得た日々。
(のちに、そんなものは社会の中では屁の突っ張りにもならないと思い知らされるのだが)

大学の授業には、少ししか出なかった。
そして、写真も少ししか撮らなかったことが、今となっては悔やまれる。
それでも、いくつかの街の写真が残っている。
そこにはやはり若かった私の、行くあて定まらぬさすらいの跡と、根拠のない自信の跡とが、
いくらかなりとも映し出されているように思う。

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港区白金台 2000年11月

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◎世田谷区下北沢 1995年

最初の下宿が小田急線経堂駅近くだった私にとって、東京で最初に馴染んだ盛り場が、この下北沢だった。
しかし残念なことに、この類まれな街を表現する何の写真も私は残すことができなかった。

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◎台東区汐入(南千住8丁目) 1995年10月

「南千住汐入」というバスの行き先にふと心ひかれ、訪ねてみた街。震災にも耐え古い町並みが残っていた地区というが、再開発のため、そんな街の歴史は風のように消え去ろうとしていた。

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・・・・この頃、故意にフレームを傾ける癖があったようだ。


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小田急線多摩川橋梁にて。1996年4月


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◎多摩センター 1996年

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◎練馬区光が丘  1996年7月

私は、ひとつの場所に住み続ける気はなく、いろんな場所へ住んでやろうと決めていた。
経堂を一年余りで出た私が、ごく短期間住んだ街が、光が丘。
都市計画への興味から、大規模に開発された団地街に住んでみたいと思ったのだ。

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だが、この郊外のはずれに立地する整備された団地群という場所は、独り身の私にとって、住みよい環境ではなかった。私はすぐに人いきれが恋しくなって、数か月で光が丘を出た。

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都営三田線高島平駅 1997年7月


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西武新宿線新井薬師前駅 1997年頃


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◎港区元麻布

1996年、私は光が丘から学校から遠く離れた横浜市青葉区の青葉台駅付近に転居した。学校へ行くために一度都心に出なければいけなくなった私の遊び場は、当初渋谷であり、のちに麻布十番や南麻布、広尾といった場所になっていった。麻布は、瀟洒な店が並ぶ界隈と古びた界隈がごっちゃになった街で、面白かったが、写真がさえないものに終始しているのが残念だ。

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◎文京区本郷

私の大学は、3年生からキャンパスが変わり、文京区本郷へ通学するようになった。この界隈は第一山の手の言われたかつての富裕な郊外で、文豪たちが多く住んだ地域でもあり独特の静かな風情がある。ちなみに第二山の手は広尾、白金界隈、第三山の手が代官山、松濤あたり、第四山の手が多摩などの郊外ニュータウンであるという。

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◎2000年 二子玉川

1996年以降、ロンドンに滞在した1998年から99年にかけての半年間を除き、私は横浜市のベッドタウン、青葉台に住んだ。ここはベッドタウンでもあるが適度に街場感もあったため、独り身の学生でも光が丘のように鬱になることはなかった。
学校へ行こうと田園都市線に乗ったものの、多摩川を渡って東京都に入ったところにある二子玉川園の駅ででふらりと下りてしまうことが多く、そのあとは多摩川の川べりで寝そべるか、このドッグウッドプラザに行きドトールの裏のテラスでボーッとしているかというありさまであった。そんなふうにしながら、いろんな夢をみた。

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この二子玉川通いは、六本木に転居してからも続いた。

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◎代官山 2000年10月

私は、なんだかんだといってその実、下町よりもオシャレな街が好きな俗物なのであった。だから代官山には昔から憧れていたし、妙にヒールの高いブーツを履いて、それっぽく通りを闊歩したりミケランジェロでお茶したりした。このころはミケランジェロでもまだタバコが堂々と吸えてよかった。

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◎南青山、裏原宿 2000年10月

1999年、私は青葉台から六本木の外れ、6丁目にあるマンションに引っ越した。都心であるが古マンションなので、家賃はそう高くはなかった。
夜も眠らない大都会の繁華街の喧騒を身近に感じながらも、この頃の6丁目はほっと一息つけるエアポケットのような静かさがまだ残っていた。夜中の三時に眠れなくてコンビニに買い物に出ても、やっている飲食店は多いし、犬を散歩させてるおばちゃんはいるし、打ち水をしているおじさんはいるしで、独り身でも寂しさはみじんもなく、私にとっては天国のような住処であった。渋谷の駅前にあるツタヤで深夜までアルバイトしていたので、渋谷から青山通りを通り、南青山、西麻布を抜けて自宅まで、毎晩歩いて帰った。いろんな店に寄り道もした。街というものを最大限に楽しんだ時期であった。

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同潤会表参道アパート


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南青山の店。


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裏原宿の通り。朝が来る。


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◎港区白金台 2000年11月

白金台にはそれほど馴染みも愛着もないが、ある秋の日に通りかかった外苑西通りは、魔法のように洒落て見えた。

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2001年、私はなぜか6年かかって(笑)、無事大学を卒業した。


撮影 1995年5月~2000年11月
本文 2014年7月



































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