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ロンドン 1998-99 [ヨーロッパの町紀行]

ロンドンでも、うだうだしてばかりいた。
学校はやっぱり、サボってばかりだった。

一日じゅう、パブでとりとめなく駄弁っていた。
一日じゅう、ぼんやり二階建てバスに揺られていた。
一日じゅう、レコード店で新譜を聴きあさっていた。
一日じゅう、お金の心配をしていた。

あの美しいカントリーサイドには行かなかった。
ポートベローマーケットには行かなかった。
ウェストエンドのミュージカルも行かなかったし、
大英博物館にも行かなかった。

でも、いつだって楽しい友人達と一緒だった。
近くのフィッシュ・アンド・チップスは絶品だった。
ホームステイの家は、小さいけれど、厳しく、あたたかかった。

英語は、まあ以前に比べるとそれなりに上達した。
人というものは結局どこでも同じだということが分かった。
素敵な女の子とも知り合った。

たかが半年。
僕は、これでもロンドンを満喫した気でいる。
そして、もうこんなことはできないんだろうな、と思う。

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The City, London


僕がロンドン行きを心に決めたのは、1998年の春だった。就職活動を突然中止して、半年間ヨーロッパに行くと言い出したときの両親の狂乱振りは凄まじかった。「箱入り息子」として僕を育ててきた両親にとって、それは天井がひっくり返るくらい大きなショックだったと思う。

それでも僕はその年の秋、フルタイムのアルバイトで稼いだ少しのお金を握りしめて、ロンドン行きを決行した。英語くらいしゃべれるようにならんとあかん、という大義名分を掲げてはいたけれど、本当は違った。

僕は、4年間の学生生活の結果、大層な「夢」を胸に抱きながら、なにひとつ思い描いたようにうまくできない自分にほとほと嫌気がさしていたのだ。このままでは、自分が自分に負けてしまうような気がした。何かひとつでも、自分で決めたことを形にしなければ後がないと思えたし、生まれた場所の価値観しか知らない自分のままでは、この情況にのされてしまうような気がして、たまらなく不安だったからでもあった。

まあ、いろんなことがうまくいかなくて、精神的に追い込まれていたのだ。

出発の前日、両親が奈良から横浜の下宿先までやってきて、あんなに迷惑かけたのに、本当にすごく迷惑かけたのに、何やら励ましてくれたうえに、こづかいまで握らせてくれた。母親は涙目になりながら、空港まで見送ると言い張ったが、僕はついに首を立てにふることができなかった。

夜になると、親友たちが、荷造りを手伝うといって部屋に来てくれた。僕は、寂しさやら不安やらワケのわからない苛立ちに襲われ、彼らに随分辛く当たってしまったことを覚えている。にもかかわらず、彼らは空港へ向かう私とともに、鬼のように重い荷物を、何もいわずに担いでくれた。

出発前、西麻布のバーで、夜明けまで語り合った。僕がなぜ旅立たないといけなくなったかを知り抜いている親友たちは、別れ際に言った。「気分転換してこいや」・・と。

本当に今思い出しても、辛くてありがたくて涙が出る。

あの頃の辛さというのは、社会人になってからの辛さとは全然質の違うものだったわけだが、それでも僕は本当にかけがえのない人々に囲まれていたのだということを、今更ながらに感じる。



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Hownslow station


 ロンドンで僕が住んでいたのは、ロンドン市内のウォータールー駅からオンボロ郊外電車に乗って25分ほど、ハウンスロウという住宅街だった。どちらかというと庶民階級の住宅地で、おもちゃのように可愛らしい家々が小奇麗に並んでいた。
 ここから、281番の2階建てバスに乗って、隣町であるトウィッケナムの学校に通った。クラスには、ドイツ人やフランス人もいたが、なぜか僕がつるんでいたのは、イタリア人のルカやスペイン人のホセなど、南方系の連中ばかりだった。
放課後には、国籍のさまざまなクラスメート達とさらに隣町のリッチモンドへ遊びに行くことが多かった。貴族の別荘地として栄えたテムズ河畔のリッチモンドの町。そこは絵のように美しく、仲間内で連れだって歩くだけでもよい心地になれた。
 あるいは、やはり281番のバスに乗って、キングストンまで行った。ここには、安くて量の多い中華料理屋やタダ同然でミュージカルをやるパブがあった。盟友ルカと私は、いつも金に困っては、すきっ腹を抱えてキングストン行きのバスに揺られた。

 ハウンスロウ、トウィッケナム、リッチモンド、キングストン。281番のバスで結ばれたロンドン西郊のこの4つの町が、私の滞在の舞台であった。

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Richmond



 そのうち、僕はやっぱり学校にはあまり出なくなった。ランドレディには学校へ行くように装って、郊外をバスや電車でひとりあてどなくめぐったり、ロンドン市内に出て、写真を撮り歩いたりした。
だが、午後になってトゥィッケナム駅前のパブをのぞくと、いつもそこにクラスメート達がいて、「オー、コータロー」と僕を待ち構えていた。

 日が暮れるまで、毎日飽きもせず与太話をした。たいがいが、お互いの国のけなしあいだった。日本人というのはどうしようもない非文明人だといってせせら笑う奴らを相手に、僕がむきになって反論する、というシーンも少なくなかったが、女の子がいるときは惚れた晴れたのさや当てがあったし、彼女達がいないときは、ここぞとばかりに女の話で盛り上がった。・・・国籍の違いや英語の未熟さが問題になることは無かった。

そんな時間が、とても楽しく、そしてなぜかまた、ちょっぴり寂しくもあった。

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Covent Garden, London


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Knightsbridge, London


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Kings cross, London


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Soho, London


自宅のあるハウンスロウからの路線にしろ、学校のあるトゥイッケナムからの路線にしろ、いずれの電車もロンドンはウォータールー駅に着いたので、そこからほど近い、コヴェントガーデンのからソーホーにかけての繁華街が、私の主なテリトリーであった。

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Oxford circus, London



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Farrigdon station, London


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The City, London


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South Kensington, London



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Hampstead, London


 ロンドン郊外に暮らしていて、若いなりに僕が感じたことは、イギリスは、間違いなく老いた国であるということだった。過剰であることはひとつもなく、社会生活に関わるすべてのものが、必要十分であった。
 郊外のスーパーマーケットの数および分布状況はまことに模範的で、日本のように数十メートルしか離れていないところにコンビニが複数あって競合しているというようなことはなかった。

 しかし、例外として、多すぎるくらいのものが二つあった。それは緑の公園と、パブの数である。
イギリス人はパブが好きだという話は聞いていたが、それは本当だった。パブだけはたくさんあって、競合している。トゥィッケナムの駅前にも、少なくとも3店舗はあった。基本的には提供しているものはどこも大体同じなのだが、店のつくりなど少しずつ趣味が違っていて、客はたいていどこか一つの行きつけを見つける。ちょうど日本の銭湯のような競合の仕方をしていた。

 パブは本当にどこにでもある。あるロンドン郊外の見知らぬ駅に降り立ったとする。あたりはうっそうとした一面の森で、家どころか道もなく、当然のことながら人っ子ひとりいない。どうしてこんなところに駅があるのか。・・・そんな場所でも、あなたは駅の傍らに、一軒のパブだけは発見することができるだろう。そして店を覗くと、どこからこんなに人が集まってきたのかと思うほど混雑していたりする。
 僕がそうであったように、好きや嫌いに関わらず、イギリス人にとってパブは生活と切り離せない存在であり、パブを中心に生活が回っているといっても過言ではないと思われる。多くの店は、朝から深夜まで開いている。飲む、食べる、話す、だけではない。ダーツやトランプ等の遊戯に興じたり、ひとり勉強や読書をしたりはもちろんのこと、時にはそこでフットボール中継やミュージカルや音楽演奏を楽しみ、時には睡眠の場でさえあった。
 何も注文せずただ座っていたとしても追い出されることはない。私のような外国人にとっても、そこは居心地のよい場所だった。


 11月になれば、ロンドンは来る日も来る日も、どんより曇っていて、うすら寒い。そんなとき、足は無意識のうちにパブに向かう。重いドアを開け、突然の人いきれと熱気にまみえた瞬間、いいようのない安堵に僕は包まれるのだった。僕はたいてい一番安いクローネンバーグか、大好きなギネスを頼み、イギリス人の多くがそうするように、食事も大概パブで済ませた。
 観光客の中には、イギリスに行ったものの「イギリス料理」の店を見つけられなかったという人がいるが、要するにパブに行けばよいのである。ロンドン西郊の庶民たちにとっては、僕が見た限りでは、たいてい普段外食といえばパブであり、少しお祝い事があるとなぜかインド料理屋に行くことが多いようだった。若い連中は、パブ、中華のテイクアウト(チャーハン等)、ケバブ屋(トルコ系)のローテーションだ。

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South Kensington, London


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London Bridge


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Camden town, London


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Hampstead, London




■「田園都市」の元祖、レッチワースを訪ねて

 イギリスで行ってみたかった場所のひとつに、レッチワース(Letchworth)があった。レッチワースは、ロンドンから北へ約50キロ、郊外電車に揺られて40分ほどのところにある美しい郊外の町である。いや、「郊外の町」などと書いてしまっては叱られる。ここは、れっきとした元祖「田園都市」なのである。
 エベネザー・ハワード(Ebenezer Howard 1850-1928)の名は、近代都市計画の父といわれる人物。都市計画に関心を持つものにとっては神のような存在である。
 19世紀末、産業革命に成功したロンドンには人口が集中し、住民は生活環境の悪化にさいなまれていたが、ハワードはそのような状況を脱却し、真に人間らしい生活と都市の在り方を求めて、「Garden City」という概念を提唱した。それは、人口規模を数万に限定し、豊かな自然と経済活動とを共存させ、さまざまな階層の住民を受け入れてコミュニティを築こうとするもので、それはロンドンという巨大な経済圏からはあくまでも独立した自立型の新都市として企画された。そして、ハワードは、実際にそうした都市をつくってしまった。その記念すべき最初のものが、ほかならぬ「レッチワース」であった。
 この考え方は、瞬く間に世界中の先進国に波及し、強い影響を及ぼした。日本では「Garden City」は「田園都市」と訳され、ハワードの影響を受けた「新都市」が各地に作られた。大阪の千里山や北野田、東京の田園調布、成城、ときわ台などは戦前におけるその典型であるし、戦後はそれこそ「田園都市」という謳い文句のもとに大規模なニュータウン開発が次々に行われた。東急電鉄が開発した「東急多摩田園都市」は中でも有名であろう。
 しかし、日本の「田園都市」はことごとく失敗した。つまり、東京や大阪などの中心大都市の経済圏に飲み込まれ、スシ詰め通勤電車が疲れた人々を吐き出しするだけの、単なるベッドタウンになってしまったのである。あまりにも多様な大都市経済が何の計画、統率もなく入り込んで入り乱れ、景観上もまったく統制がとれない状況で、住民同士のコミュニティもいかにも表層的なものにとどまっている。
 かといって、「Garden City」の概念が日本に根付かなかったと即断するのは間違っている。高度な情報化社会がうまれ、「成長」から「成熟」へと日本社会が向かういま、ようやくその本質的な考え方を用いて社会や生活を再編する余裕ができつつあるし、むしろそれは、今後の成熟化社会の中で必然的に求められてくるものであろう。レッチワースの理想を考えることの重要性は、今後ますます高まるといえる。

 本家レッチワースにおいても、ハワードの理想が完全に具現化されたかというと、そうではない。レッチワースの駅では、日本ほどではないにしても、毎朝ロンドン行き列車のラッシュがあるし、土地の個人所有化が進んだために、コミュニティによる完全な規制が成立しなくなっているようだ。しかし、住民の街並みへの愛着は深く、いまも開発の規制とコミュニティ維持のための様々な運動が住民たちの手で行われており、その特筆すべき住環境の良さは少しも減じていないし、企業や工場などの立地も継続している。


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Letchworth(8点とも)



■ロンドン電車図鑑 

このころまだかなり鉄分が濃かった僕。なんやかんやで電車の写真もよく撮った。ロンドンの地下鉄は良く知られているけれど、周辺部は、東京以上に網の目のように、郊外電車の路線網があった。この郊外電車は、もとはすべて国鉄だったものだが、今は路線やエリアごとに運営会社が分かれている(ただし切符などは共通)。

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465系 ロンドン南西部を担当する Connex社の列車
(ただしこの写真の車両は国鉄色のまま)


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ロンドン南部へ向かう列車のターミナルのひとつ、チャリング・クロス駅。


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典型的なロンドン南郊の郊外電車駅の様子。メイズ・ヒル駅。


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ロンドン南郊のヘイエス線の終点、ヘイエス駅で折り返し待ち。
歩いてくるブルーのジャケットの男性は運転士。コネックス社の制服はジャケットのみ。


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321系 ロンドン東部への路線を担当する Great Eastern社の列車


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321系 ロンドン東部への路線を担当する Great Eastern社の列車
この路線は快速線と緩行線が分かれている


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ロンドン東部へ向かう列車のターミナル、リヴァプール・ストリート駅。


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319系 ロンドン都心を地下線で縦貫、南北の郊外を結ぶThameslink社の列車
北側の架線集電エリアと南側の第三軌条集電エリアの両方を走行できる


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都心に位置するロンドンブリッジ駅。
始発列車が発着する左側の頭端式ホームと、右側の直通電車用ホームに分かれる。


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ロンドン市内にある8つのターミナル駅のうち、最も規模の小さいマリルボーン駅。 非電化で、ディーゼル車が発着する。


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313系 ロンドン北郊を半環状に走るSilverlink社の列車 
この路線のみは市内交通扱いで、地下鉄路線図にも記載されている


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315系 こちらもGreat Eastern社の列車  緩行線で使用されている


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これもGreat Easternの321系 右2線が快速線、左2線が緩行線


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ロンドン北部へ向かう列車のターミナル駅のひとつ、キングス・クロス駅。
地上の頭端式ホームは長距離列車用で、郊外電車は都心直通のため地下ホームから。


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地下鉄の車両。ノーザン・ライン待望の新型車両。
トンネルの形状に合わせて、ロールケーキのような形をしている。


 よく知られているように、イギリスの電車はまったく時間通りに来ない。とくに僕らがいつも使う郊外電車(サウス・ウエスト・トレインズ)は、ほかの路線と比べても明らかに年季が入った骨董品のような車両が多いためか、遅れてばかりであった。
この旧型車両はどこもかしこも木製で、走行中にギシギシと今にも解体してしまうのではないかと思うくらい音を立て、この電車なら遅れもやむなしと妙に納得させられてしまうのである。
ことに驚くのが、ドアの構造。壁に沿ってスライドする日本のようなものではなく、住宅のドアのように、外側に向けてバタンと観音式に開けるもので、全て手動だった。最も興味深いのは、一部の旧型車両においては、ドアには外側にしか取っ手が取り付けられておらず、車内側にはなんと取っ手がないことである。
では電車から降りるときどうするのかというと、ドアについている窓がいちおう開けられる構造になっているので、その窓をガタガタと下げてその隙間から外へ手を出し、外側の取っ手を操作するのである。これは、はるか昔、列車の乗客はすべて高貴な方々だったので自分で扉を開ける必要がなく、誰がに外からドアを開けてもらうのが当たり前だったという、古き良き時代の名残なのだというから驚きだ。

閉めるのももちろん手動なのだが、ドアを開けっ放しにして立ち去る乗降客も少なくない、これが電車の遅れる原因のひとつとなる。なぜならドアが外に向けてブラーンと開いたままでは発車できない。線路脇の家屋や樹木などと接触する危険性があるからだ。しかし、駅員や車掌は、近くの乗客の誰かが気付いて閉めるだろうと期待しているらしく動かない。乗客のほうも、ボォーっとしていたり読書に夢中だったりで気付かない。この骨董品のような電車は車内の方も古びたボックスシート(というよりコンパートメント)で、背もたれが高く、ドアのすぐ脇の席でないと、どんな状態なのか分からないのだ。
こんなことで当たり前のように時間が経過していくわけで、ただでさえ遅れている列車は、一駅停車するごとにどんどん遅れていく。


誇張のない話をしよう。あなたがこの路線を利用する機会が10回あったとする。そのうち、定時に電車が来るのは、1回、ないしは2回であると断言できる。少なくとも半分の5回は5~15分程度遅れてやってくる。あとの3回は、20分以上待たせたあげく、あろうことか「運休」となるのだ。
この「運休」の多さにはほんとに閉口させられた。始発駅で、発車時刻を15分以上過ぎても電車が動かないとき、だいたい「運休(CANCEL)」となる。「運転士が行方不明(Missing)のため運休」などと平気でアナウンスがある。こんなときは、乗客はあきらめきった表情で電車を降り、ゾロゾロとホームを戻ってまた発車案内板のところに戻って次の電車を探すしかないのだ。

 ・・・走り出してからがまた心配である。ある雨の日、これは例の旧型ではない車両だったはずだが、止まるはずの駅に電車が止まらず(減速はした)、そのまま通過してしまったことがあった。ぼそぼそした声で「ブレーキ不調のため停車できなかった」と短いアナウンスがあっただけ。電車はそんな状態なのに、その後も運転を続け、各駅でオーバーランを繰り返していた。
ロンドンでは、こんなことが続いても、一部の老人がちょっと眉をしかめてみせるだけで、皆何事もなかったかのように素知らぬ顔をしていて、決してクレームに発展することはない。
僕も、黙って乗り続けていた。

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ギー、ガチャガチャ、プシューと音を立ててやって来る旧型電車の勇姿。
SouthWest Trains社の列車。驚くべきことに2009年現在もまだ現役らしい。


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Bethnal Green, London


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Shorditch, London


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South Kensington, London


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Hampstead, London



 バスの話もしておこう。
 バスドライバーの顔ぶれ・・・これこそが滞在中、僕が一番ロンドンを感じたものかもしれない。
僕は、生まれながらの乗り物マニアなので、何かに乗るときは必ず運転手の顔をチェックする習慣(?)がある。ロンドンの場合、タクシーや電車では運転手の殆どが白人であったが、バスでは白人の割合は半数ほど。残る半数は、それ以外の人種である。絵に描いたようないかめしい英国紳士も、ターバンを頭に巻いたインド人のパパも、レゲエ風に完璧にキメた黒人の兄ちゃんも、そして日本人かと思うようなアジア系の人も、決まって同じようなしたり顔で、あの赤い路線バスのハンドルを握っている。女性こそ見かけないものの、多種多様を絵に描いたようなじつに見事な顔ぶれである。雑多な人種が入り混じっていながら、皆どことなく同じ雰囲気を共有している。そんな彼らのポートレイトを並べるだけで、立派にロンドンというものを表現できる気がする。

 ある日こんなことがあった。その日また僕は学校をサボり、ハウンスロウのバスターミナルで始発の120番を待っていた。すでに規定の発車時刻は過ぎ、バス停にはオジさんオバさん方が、黙りこくって列をなしていた。そのときである。待っている旦那衆の皆が皆、揃いも揃って、申し合わせたように鳥打ち帽を被っていたのである。
だが、そんなことは実はどうでもよく、問題は目の前にバスはあるのに、いつまでたってもドライバーが現れないことだった。そのためドアが開かず、バスに乗れない。まあこういうことはよくあることで、僕らは辛抱強く、おっさんドライバーが鼻歌でも歌いながら営業所から出てくるのを今か今かと待っていた。
 と、おもむろに営業所のドアが開き、一人のドライバーらしき人間が出てきた。営業所のドアのところで立ち止まったまま、まだひとしきり所内にいるらしき同僚と野卑な会話を交わしていたが、咥えていた煙草をカッと打ち捨てたかと思うと、つかつかと僕らの前をとおりすぎ、ひとりさっさとバスに乗り込んだ。直後、乗車ドアも開かれたが、しかし、僕らは何が起こっているのか理解できず、誰も動くことができなかった。
 なぜならば、そのドライバーというのは、どうみてもティーンにしか見えない、小柄な女の子だったからだ。「あんたたち、乗るの?乗らないの?」彼女の罵声が飛んできて、ようやく皆われに返り、いそいそと乗り始めた。バスドライバーというとオッサンと相場は決まっている。しかし・・・ああ、我々のドライバーは間違いなく彼女なのだった。
 まあ僕はいつもどおり、景色がよく見える前方の席についた。ミラー越しにのぞく彼女は、金髪の長い髪を後ろで束ね、少女のような勝気な表情の中にひときわ凛とした気品があった。

かくして、僕らは天真爛漫な彼女のハンドルに身を委ね、ロンドン郊外の野道を揺られることとなった。イギリスの田園地帯では信号というものは殆どなく、交差点は小さなラウンドアバウトになっていることが多い。交差点の中央部に盛り土があり、交差点に入った車はこの盛り土のまわりを時計回りに回りながら、進路を選んで外れていくしくみだ。
彼女はそのラウンドアバウトがお気に召さないようで、ろくすっぽハンドルも切らずに直進しようとする。だからそのたびにバスは盛土に乗り上げて大きくバウンドした。

時は早春。車窓にはいま萌えいずる草木にうすもれんばかりにして、古びたヴィクトリア調の洋館がその屋根をのぞかせている。典型的なイギリスの都市郊外の田園風景だ。
しかし、今日は車内の雰囲気のほうも格別だった。同じような鳥打ち帽が、同じように右に左に揺れている。 皆、不思議なくらいに押し黙って神妙な顔つきで、話をするものもなく、どことなくピリピリした雰囲気。ははあ、あの御仁たちも、内心おだやかでないのだな、と思う。それでも皆うわべは冷静を装って、わざわざ後部に座席をとったり、「大丈夫かな」などと心配顔を見せたりしないのがイギリス人という生き物なのだ。
 
 だが、そのうち、ひそひそ話が始まった。お互いに耳打ちをしては、バスの後方を振り返ったりしている。見ると、バスの後をひたすら追ってくる自転車の青年がいるのだ。
 青年はバスに追いつこうと必死に立ち漕ぎを続けている。引き離されて見えなくなったかと思うと、バスが停留所に止まる間にまた追いついてくる。はじめのうちは、ただの自転車好きの青年かと思ったが、バスがいかなる細道に入ろうともそのとおり付いて来るので、これはただごとではない。はからずも乗客の見解が一致してくる。何かこのバスに伝えたいことでもあるのではないだろうか。もしかして、重大な故障を発見したとか? そう考えはじめた乗客たちを代表して、われらがドライバーに進言しようと一人の老爺が動こうとしたとき、ちょうどバスが停留所に止まった。みるみる接近してくる自転車の青年。しかし、彼は我々の予想を裏切り、おまけに口笛まで吹いて軽やかにバスを追い越していった。
 ・・・やはり、ただのサイクリストなのか。安堵とも落胆ともつかぬ微妙な雰囲気に車内は包まれた。僕も、なあんだ、と思い前に向き直る。
 だが、青年の不思議なバス・チェイスは、その後も続いた。この120番バスは、住宅街を縫って相当複雑な経路をたどるのだが、彼はぴったりと寄り添うように追走してくる。そして、我々を追い越すときには、得意げなあの口笛を忘れない。われらのお転婆ドライバーも、クラクションで答える有様である。
 まあ、あの年代の若者というのは、酔狂なことを好むものだ。やれやれ・・・といった気分で車内の雰囲気はいったん落ち着いた。

 だが、乗客の大半は、まだ事の真相には気付いていなかっただろう。もちろん、僕じしんも。

 ・・・黙りこくっていた一人の鳥打ち帽が、急に打たれたように顔を上げ、もう一人の鳥打ち帽にささやきかける。そしてその鳥打ち帽が、さも感心したように、さらにもう一人の鳥打ち帽の肩をたたく。お互いが頷きあって、ひとり、またひとり、その輪がひろがっていく。ついに、皆が雁首をそろえて振り返る。むろん自転車男を見るために、である。

 どうして気付かなかったのだろう。懸命に漕ぐ彼のひたむきな眼差しに。どうして気付かなかったのだろう。その眼差しが、僕らの姫君に向けられていることに。どうして気付かなかったのだろう。彼女の横顔にいつしか浮かんだかすかな微笑みに。どうして気付かなかったのだろう。繰り返される口笛とクラクションの交換の、その意味に。
 ・・・むべなるかな、彼と彼女は、愛し合う仲なのであった。


 今また停留所に近づいたバスを、彼が追い越していく。流れ去る口笛に、軽いクラクションが答える。
 バスの中は、もうもうピリピリとなんかしていなかった。鳥打ち帽が、歌うように揺れている。いつしか日も照りだして、窓の外は春の息吹きでむせかえるよう。老人がかすかに微笑んで遠くを見つめる目をしたとき、僕はなぜか、僕はやっぱりいまイギリスにいるんだと思った。

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Shordich, London


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Richimond


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Richimond


撮影 1998年9月~1999年1月
本文 2009年 (トップページのみ1999年)




















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