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東京<目白> 2016 [日本の町散歩(関東)]

目白は隣町である。東京には都心を少し離れたところにセレブタウンがいくつかあるが、駅前に学習院がある目白もその一つ。通りにはチェーン店も増えてきたが、それとなく洒落た店も点在する。肩肘はったところやトンがったところがないのが目白の魅力。良くも悪くも、大人の街である。
私は椎名町での下町生活を愛しているが、たまにはハイ・ブロウな風に吹かれてみたくなる。そんな時は、眼と鼻の先にある目白界隈をうろつくことにしている。29ある山手線の駅の中で、他の線との接続や乗り換えがないのは新大久保と、この目白だけ。基本的には地元民の為の街であるということが、街に落ち着きを与えているのであろう。

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黒石 2016 [日本の町散歩(東北)]

弘前から直線距離で15キロ、郊外電車に揺られてわずか30分の距離にあるのが黒石。弘前に本藩があった津軽藩の支藩が置かれた地であり、弘前同様に「こみせ」もあれば「ねぷた」もあるという、まさに弘前とは兄弟のような関係の町である。「こみせ」は雪深い地方ならではの、歩道に設けられたアーケードのことであるが、弘前のそれがいかにも現代的なのに対し、黒石の「こみせ」はズバリ、江戸時代からのもの。まとまった形でそれが残っているのは、全国的にも黒石のみという貴重さである。
古めかしい木造のアーケードが続く風景を求めて、弘前からのプチトリップを敢行した。

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弘前 2016 [日本の町散歩(東北)]

弘前は云わずと知れた津軽地方の中心都市。だが、この街がこんなに垢抜けた、すがすがしい都会であるとは、正直想像していなかった。
もとは津軽藩の城下町であった弘前ゆえ、もちろん弘前城や武家屋敷群が観光の目玉である訳だが、明治、大正期に建てられた多数の洋館が今なお残るのもまた、弘前の魅力である。
明治以降は東奥義塾の設立をはじめ、学術文化の都を目指して外国人教師を多数招聘した弘前。どこかオープンで進歩的な風が、ずっと時代がくだった今も、なお弘前の町を包んでいるように思われる。洋館めぐりの楽しさもさることながら、フランス料理店やカフェの多さはすでに良く知られているし、街ゆく人のファッションにもこの地ならではの洗練が感じられる。
そして、空を見上げればどこからでも見える、たおやかな岩木山。漂ってくる、ほのかなりんごの花の香り。
こんな弘前を私が歩いたのは、五月の良く晴れた日であった。

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太海 / 和田浦 2016 [日本の町散歩(関東)]

房総は東京という地球有数のメガトンシティーに隣接する地域だけに、ワイキキのような巨大ホテルが立ち並ぶ都会派リゾート地帯なのであろうと勝手に想像していた。だから、実際の房総がこんなにも、寂しいくらいに鄙びているのを目にして私はすっかり魅了されてしまい、もっといくつも海辺の町を訪ねてみたくなった。

そんな私が次に選んだのが、太海と和田(和田浦)という小さな二つの町。いずれも館山と安房鴨川の二つの大きな町の間に挟まれた、交通の便のあまり良くないあたりにある。太海は、安房鴨川からひと駅西に行っただけなのにがらりと雰囲気が変わり、素のままの、ある意味隔絶された海のくらしが垣間見える、別天地のような場所だ。和田浦は今でも捕鯨が行われている数少ない基地(全国で5か所だそうだ)のひとつ。町ではもちろん鯨料理が名物だ。

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千倉 2016 [日本の町散歩(関東)]

東京に住んでいて、ふらりと海を見たくなったらまず鎌倉や葉山や湘南に行く。明らかに都会の延長にあるそんな海が鼻につくような時は、三浦半島の先のほうに逃げたりするし、伊豆だって悪くない。でも、それでも癒されない、もっと素のままの海と風とに相対したい。そんな時は房総が良いと聞いた。

千倉は、房総半島の南端近くにある海辺の町。房総はさすがに広く、ここまで来るには東京から2時間以上。花畑の丘に囲まれ、ぽかぽかと暖かな薫風の中、どこまでも続いていく穏やかな海岸線、漁港、鄙びた町並み。それでもかすかに感じる、嫌みのない都会の香りが千倉の良さだ。
道はもちろん海に近く、ずっと南へ続いている。さわやかな青空に恵まれた春の午後、駅で借りた自転車で、どこまでも走ってゆく。

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三春 2016 [日本の町散歩(東北)]

梅、桃、桜の三つの「春」が一緒に来る町だから「三春」・・・そんな町の名前は出来すぎ、というかちょっとあざとい気もするが、そうは云ってもそんな名前に私もつい魅かれて、いつか行ってみたいとつねづね思っていた。
それは戦国時代から続く、わずか三万石の、山あいの小さな城下町。郊外にある樹齢1000年以上という天然記念物の「三春の滝桜」が全国的に有名だが、それだけでなく、春になると三春の街全体が桜に包まれるという。そんな三春の町を、まさに春らんまんの時期に訪ねることができたのは幸運であった。

それでは、私のしがない成果を、ご覧頂こうと思う。
(滝桜は、町から離れている為、撮影していませんので、あしからず)

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下田 2016 [日本の町散歩(中部)]

この年になるまで、伊豆半島に足を踏み入れたことが無かった。東京から「スーパービュー踊り子」等の特急列車が頻繁に乗り入れている伊豆は、関東人の為の華やかなリゾート地、というイメージ。関西出身の私には、なんとなく敬遠されるにおいが、そこにはあったのだ。
しかし、その関東からもうすぐ離れなければならなくなった2016年の春。私はやおら伊豆に行きたくなった。まだ東京では三寒四温の日々が続く三月、私は南風に誘われて伊豆急行線に乗り、終点の下田まで来てしまった。伊豆半島の先端近くに位置する下田は、黒船に乗ったペリーが来航し、幕末開港の舞台となった、歴史の上でも重要な場所であるが、訪ねてみるとそこは、たおやかな春の風と、素朴なやさしい人情が迎えてくれる、小さくて気持ちの良い港町であった。よくよく考えれば伊豆はもう関東ではなく静岡県なのだ。

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撮影機材変更のお知らせ [日々のよしなしごと]

2016年撮影分より、主たる撮影機材を以下のとおり変更致しました。

(これまでの機材)
メイン機: NIKON FM3A フィルム:PROVIA100F
サブ機: RICOH GRD

(今後の機材)
NIKON D800E

私はその場の空気感を大切にした撮影を行いたく、これまでフィルムで撮影するということにこだわって参りましたが、昨今のフィルム価格および現像価格の高騰に対し、ついに音を上げる形となってしまいました。
ついてはメイン機の一部機能が故障致しましたことを機会として2016年初旬、NIKON D800E中古機を購入致しましたので、これ以降は当該デジタルカメラでの撮影が主となりますことをお知らせします。

今後とも、その場の空気感を伝わる写真撮影を心掛けてまいりますので、何卒よろしくお願い申し上げます。


結城 2015 [日本の町散歩(関東)]

結城という町の名前は、小学校のころから知っていた。今でも小学生たちは「結城紬」を学ぶのだろうか。日本の重要文化財である、伝統工芸品の最高級絹織物。それがどんなものかは知らなくても、「ゆうきつむぎ」という語感の美しさは大人になった今も覚えている。そして今回、ふらりとその結城という町にやって来た。
思いのほか沢山の店蔵が健在で、関東圏の町としてはちょっと意外なくらいに味わい深い町並みが残っている。そして大切なことは、そんな町並みが現役の「町」として今もきちんと機能していて、いきいきしたものが感じられることである。数は減ったとはいえ、結城には今も紬の工房や問屋がいくつも残っていて、それがこの町を産業的にも精神的にも、いまだしっかりと自立せしめているように思われた。

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龍野 2015 [日本の町散歩(近畿)]

「夕焼け小焼けの赤とんぼ、負われて見たのはいつの日か・・・♪」とは誰もが知っている童謡である。作詞者である三木露風は、赤とんぼが舞い飛ぶ、風光豊かな故郷で過ごした幼少期への思慕の念をこの歌に託したという。そしてその三木露風の故郷が、この播州龍野の街である。
清流として知られる揖保川がゆるやかに流れる傍ら、小高い丘に抱かれた小さな城下町は、いまも「赤とんぼの故郷」と云いたくなるような古い城跡と町並みを残し、静かな詩情に包まれている。
しかし、この町においてそれ以上に特筆すべきことは、ここが「淡口(うすくち)醬油」やそうめんの「揖保の糸」といった全国区の名産品やブランドを生み出し、産業化に成功した町であるという点である。うすくちしょうゆの一見はんなり、実はシッカリという味わいの妙は、そのまま龍野という街の特性なのかもしれない。

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益子 2015 [日本の町散歩(関東)]

益子焼の美しさは、土に根差した素朴さの中に、用の美を含んでいることであろう。特別な器ではなく、いつもの日常生活に、土と人肌のぬくもりを伝えてくれる器の数々は、洗練という点からは私の好みと少し違うのだけれど、つい今夜もこれで、と気安く手を伸ばしたくなる人懐っこい魅力があり、我が家の食卓に登場する頻度は最も高い。
そんな益子焼のふるさとをふと訪ねてみたくなった。東京から電車を乗り継いで1時間少々、真岡鉄道というローカル鉄道に揺られて案外あっさりと益子駅に到着である。

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富士吉田 2015 [日本の町散歩(中部)]

いうまでもなく、富士山は日本人の心のよりどころであるが、その表情は見る場所によって少しずつ異なるように思う。南側、静岡側から見るといつもたおやかな印象だが、北側、山梨側から見る富士は、より陰影に富み、怒っているような、苦悩しているような、どこか近づき難い、複雑な表情を感じさせる。そんな山梨側の中腹に抱かれた大きな町が、富士吉田である。
何百年の前から富士山信仰の聖地であり宿坊が連なった「上吉田」地区と、昭和の時代に織物産業で栄えた盛り場「下吉田」地区。二つの異なった個性持つ富士吉田であるが、近年大挙して富士に押し寄せる外国人集団も、この街を顧みることはあまりないのだろうか。
ようやく秋めいてきた9月終わりに訪ねてみた富士吉田の街は、ひと気もなく、斜陽の中で静かに時を刻み続けているように見えた。

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湯浅 2015 [日本の町散歩(近畿)]

わたしは、日本の良さを残す町並みを求めてあちこち小さな町に出掛けているが、この湯浅ほど居心地が良く、その雰囲気にどっぷり浸かってみたくなるところは初めてである。伝統的な町並みが良く残っているという点なら、他にも右に出る場所はたくさんあろう。しかしそんな無理やり保存されたような町並みは、現代の市民生活から浮いてしまってテーマパーク然とし、町としては生きている感じがしないことも多い。
湯浅もずいぶん寂しくなったと言うけれど、駅を降りて町を歩くと、自転車に乗った危なっかしいジイサンが通りを横切り、ランドセルをしょった子供達が路地を駈けていく。道を尋ねれば人々は穏やかで優しく、品がある。そして、どこからともなく漂ってくる、醬油のもろみの香り。。。いたずらに古い町並みを強調されているわけではなく、伝建地区には町の一部が指定されているだけ。そこでさえも、電柱の地中化すらされていない。町には江戸から昭和にかけての街の歴史の積み重ねが、ありのままの姿で残されている。それがなぜか、とても好ましいことのように思えてくる。
町そのもののが持つ香気がほんのり立ち昇る、こんな町の息吹の中にただ抱かれて、どこも行かず何もせず何日かぼーっとしてみるのもまた、ニッポンの良きリゾートかもしれないと思う。

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加太 2015 [日本の町散歩(近畿)]

加太(かだ)といっても、全国的には知る人は少ない。しかし、大阪から湾岸沿いに南下し、紀淡海峡に突き出した岬を越えて南紀側、黒潮の流れる太平洋側に出たところにある小さな漁港町であるというと、ピンとくる人はいるのではないか。そう、地形条件からしても、加太は関西でも指折りの、美味い魚が釣れ、そして食える町なのである。とくに、年間を通して獲れる天然真鯛の美味さは全国屈指と云われるほどなのだが、いかんせん関西人からしても、地味な場所という印象は拭えない。関東には、マグロ料理で賑わう三崎があるし、湘南から三浦にかけても生シラスを求めて行列のできる腰越や小坪といった場所がある。加太は大阪からも近い立地にあり、みさき公園あたりから加太にかけての半島部分なんか、逗子~葉山あたりの感じに似ていないかしら・・・・、加太が関東の三崎や葉山みたいになればいいなあ・・等と思いながら、改めてじっくり街を歩いてみることにした。

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マウイ島 2015 ~ (2) パイアとマカワオ [ハワイ紀行/オーストラリア紀行]

マウイで最もマウイらしい町がパイアだと思う。島の北岸を東西に走るハナ・ハイウェイとそこから分岐しアップカントリー方面へ登ってゆくボールドウィンアヴェニューとのT字路を中心に広がる町は決して大きくないが、並ぶお店のどれもがおしゃれで個性的なのに驚く。ラハイナのように観光客相手に楽しませようとするのではなく、まずは自分が良いと思ったものだけをお店に並べるということに徹している。しかしより大事だと思うのは、その店主たちの生き方、暮らし方が素敵だからこそ、そのどれもが洗練されて輝くのだろうな、ということ。こういうのは、マイペースとは言わず、「ダウン・トゥ・アース」というらしい。周りの時間と空間とに自らを調和させ、地に足を付けて無理なく無駄なく暮らす、そしてそんな生き方を楽しむ、そういうスピリットをビンビンに感じる町なのだ。そしてそれはマウイ全体のスピリットでもあると思う。
パイアからアップカントリーへ登って行ったところにあるマカワオにも、同じことが言える。パイアよりもさらに小さな町だが、内容は濃い。パイアがやや若者寄りのフレッシュ感に満ちているのに対し、マカワオはもう少し大人びていて、私のようなオジサンでも落ち着いてお店を見て歩けるのがなんとも嬉しい。

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パイアにて

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マウイ島 2015 (1) ラハイナ [ハワイ紀行/オーストラリア紀行]

前回(2009年)のハワイ行きでは足を延ばせなかった念願のマウイ島に、ようやく行って来た。都会的なオアフ、自然派のビッグアイランド、それに続けて言うなら、最も街場的なのがマウイではないかと思う。
アメリカ的、オアフ的な巨大ショッピングセンターはこの島には似合わない。かといって、ビッグアイランドのようにのんびり鄙びているかというと、そうではない。やはり大自然に囲まれているのに、人々はみなどことなく垢抜けており、町にはキラ星のように小さな素敵な店がたくさんある。
そんなマウイの中でも、最も大きな町がラハイナである。「ハワイの古都」等と紹介されることさえあるけれど、1810年のカメハメハ大王による統一後、ラハイナは確かに最初に首都となった地。1845年にホノルルへ遷都となってからも、ラハイナは太平洋における捕鯨の大中心地となって船乗りたちで殷賑を極めたという。そんな時代が、20世紀の初めまで続いた。その栄華の名残りを色濃く残しながら、どこかまた新しいのがラハイナの魅力であろう。
ラハイナの町は、そうしていまも多くの観光客を引きつけ、ショッピングやグルメを楽しむ人々の声が、今宵も波間にさんざめく。

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牛窓 2015 [日本の町散歩(中国・四国)]

「日本のエーゲ海」としてこの十数年来売りだしてきた瀬戸内の牛窓。穏やかな多島海、気候は温暖で、オリーブ栽培とマリンスポーツがさかんとくれば、エーゲ海になぞらえたくもなるのも分からなくもないが、その一方で、一歩路地に入ると古くからの町並みが残っている場所でもあるという。
古代から潮待ち、風待ちに良いとされてきた天然の良港が瀬戸内地域にはいくつかあるが、じつは牛窓もそんな悠久の歴史を持つ街のひとつ。「唐琴(からこと)の瀬戸」と呼ばれ参勤交代一行や朝鮮通信使の停泊地としても栄えたという。
ある夏の日の午前、そんな相反する魅力を持つという牛窓を私も歩いてみた。

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玉島 2015 [日本の町散歩(中国・四国)]

「香ばしい町並み」という表現がある。歴史が古く由緒正しい町並みを指す言葉なのだが、往時の町並みがよく保存整備されている場所に対して使われるのではなく、今は顧みられず干からびて、朽ちてゆくような町並みを指すもののようだ。玉島は、そんな表現が似合う街である。
高梁川の河口(三角州)に位置し、かつて備中松山藩が大規模に行った干拓、新田開発によって生まれた街は、備中松山城下(現在の備中高梁)と高梁川の水流によって結ばれ、同藩の藩港として廻船問屋が立ち並ぶ等して大いに栄えた。明治以降も瀬戸内の重要な港湾都市としての存在感を保ち続けたが、昭和以降は次第に衰退していったという。そして、昭和後期から平成以降のモータリーゼーションの進展は、玉島という街をもはや街でなくしてしまった。
「昭和レトロ」を売りにした街おこしもそこそこに、玉島は今も朽ち続けている。単なる「ノスタルジー」という言葉を通り越した何がしかの感慨を覚えるという意味で、非常に歩きごたえのある場所であった。

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備中高梁 2015 [日本の町散歩(中国・四国)]

備中高梁は、中国山地の山間にある由緒正しく美しい城下町である。古くは松山と呼ばれ、その中心となった備中松山城は現役の天守を持つ城としては最も高い位置にあり、いまも日本三大山城のひとつに数えられている。
それにしても、この城下町の清々しい空気はどうであろうか。緑に囲まれた盆地は、深山幽谷といっていいほど彫り深く、その中央を、高梁川の渓流が川岸を洗わんばかりに音をたてて流れている。夜明けごろ、町には決まって霧が立ち込め、しだいにそれが晴れてくるにつれて、朝露に濡れてしっとりした城下町の家並みが現れ出る。それは堂々として、決して小さな町ではないのに、同時に、主張しすぎない謙虚さを感じさせ、まことに好ましい。
この町の造成を担当したのは、文化人、芸術家としても名高いあの小堀遠州(小堀政一)であるというが、その美意識が、いまに至るまで受け継がれているのではないかとさえも、思ってしまう。

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常陸太田 2015/16 [日本の町散歩(関東)]

○○ヶ丘、といえば大抵、ニュータウンにつきものの地名だが、常陸の国の「鯨ヶ丘(くじらがおか)」は、悠久の歴史にその名を刻む、由緒正しき地名である。何といっても4世紀ごろ、日本武尊が東夷征伐のためにこの地を巡った際、丘陵の起伏があたかも鯨が洋上に浮遊している状に似ているとして「久自」と名付けたそうだが、それが転じてこの地域は「久慈」となり、丘はいつしか「鯨ヶ丘」と呼ばれるようになったという。
鯨の背中に似たこの丘に、戦国時代以降、佐竹氏によって太田城が築かれ、城下町も造られて丘の上はたいそう賑わったらしい。江戸時代には水戸藩領となり、町はますます栄えた。丘の周辺はこぼれんばかりの稲穂が実る豊かな穀倉地帯となり、その美しい風景は水戸八景の「太田落雁」として称えられた。その城下のはずれではまた、引退した徳川光圀(水戸黄門)が質素な隠居生活を送った。
そんな鯨ヶ丘も、いまは過疎化が進み、ずいぶん静かになったとか。夏も盛りを迎えようとする頃、舗道に濃い影を落としながら、私は丘をめぐってそんな歴史の残照を訪ね歩いた。

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久留里 2015 [日本の町散歩(関東)]

久留里は上総地方の内陸にある小さな町。旅行ガイドを見ても、はたまた「ちいさな街紀行」などという書物を見ても、ここが出てくることは少ないが、何といってもその名を「久留里線」という鉄道路線が木更津から通っている。鉄道がわざわざそこを目的として敷かれたということは、当時それだけの賑わいのあった街ということではないか。そう思った私は、梅雨の明けた夏の一日、久留里線に乗って町を訪ねてみた。
山城のふもとに開かれた街は、いまは鄙びて歩く人も少ないが、よく風が通って清々しい。黒田氏三万石の城下町ということで、山の上の城までは足を延ばせなかったが、山麓の武家屋敷街であった通りなども雰囲気がある。そして、久留里の最大の魅力は、街の至るところで、ほのかに甘い地下水がこんこんと湧き出ていることだ。町中になんと200か所以上の井戸があるそうで、確かに歩いていると数百メートルごとに湧水の水桶やタンクに行きあたると言っても過言ではない。味は場所によって少しずつ違い、飲み比べも楽しい。まさに久留里は「生きた水の里」である。

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会津若松 2015 [日本の町散歩(東北)]

会津若松は言わずと知れた会津地方、会津盆地の中心都市である。町の名前は本来「若松」であるが、他地方の人からは「会津」を冠して堂々「会津若松」と呼ばれることが多く、現在は自治体としての正式名称も「会津若松市」でありJRの駅名も「会津若松駅」である。
小さな地方を中心に旅してきた私にとっては、大都会のように思えるこの若松。名城「鶴ヶ城」を筆頭に歴史遺産も多く、会津塗等の漆器、焼き物、民芸品から郷土料理に至るまで豊かな伝統文化を持ち、今に伝える立派な観光都市でもある(たとえば玩具の「起き上がり小法師(こぼし)」は会津若松発祥である)。
近年はとくに、旧城下町内で伝統的建造物の保存等もさかんで、道筋には「町方蔵しっく通り」「野口英世青春通り」などと名前が付けられ、越後街道の入り口にあたる「七日町通り」もレトロ人気で活況を博していると聞く。
そんな若松の城と街を私が訪ねたのは、鶴ヶ城の桜がちょうど満開となった春のひと日であった。

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モレ・シュル・ロワン 2014 [ヨーロッパの町紀行]

イル・ド・フランスとはパリ周辺の首都圏地域を指す名称(直訳すると「フランスの島」)であるが、東京周辺のビルやマンションが密集する息詰まるような「首都圏」とはまるで違う。パリ周辺にも無論、団地群が密集するいわゆる「郊外地域(バンリュー)」はあるが、東京のそれのようなとりとめのないものではない。「イル・ド・フランス」とは、そんな郊外地域をさらに広い範囲で包括する地域名であり、セーヌ川、マルヌ川、オワーズ川の3本の美しい川のもたらす豊富な水資源と、肥沃な森と緑野に恵まれた、自然の風光ゆたかな、美しい土地なのである。そんな川のほとりや緑の谷の合い間に、絵のように美しい小さな町や村がいくつも点在する。パリへ旅行するなら、うち一日は列車に揺られ、そんなイル・ド・フランスの小さな町を訪ねてみたい・・・そう思って、私が選んだのが、今回訪れた「モレ・シュル・ロワン」である。

人口3500人という小さなモレの町は、その名のとおり、ロワン川のほとりにある。私の好きな画家、アルフレッド・シスレーが住み、愛し、描いた町。見るものの心に、ただ穏やかに浸みこんでゆくような、柔らかく平明な絵の数々に誘われて、私はパリ・リヨン駅から列車に乗り込んだ。

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パリ 2014 (6) 番外編~パリのメトロ、駅、電車 [ヨーロッパの町紀行]

パリでもやっぱり、鉄道が気になってしまう私。当然、地下鉄や電車は、街歩きの合間合間の交通手段のひとつなわけであるが、ただの手段としてだけでなく、そこにもパリらしさ、パリならではの匂いが嗅ぎとれるとなればより一層、私はそちらに寄り道をしてしまうのである。
とくにパリのメトロは独特の乗り物である。日本でいう「地下鉄」よりもはるかに身近であり、はるかに街に溶け込んでいる。何よりもパリのメトロ網は、東京の鉄道網よりもはるかに細かい。駅間距離も短く、小さな車体でちょこまかと走る。パリの通りを少し歩くだけで、すぐにあちらにもこちらにも、メトロへの降り口があるのに気付くだろう。その階段を少し降りればもうそこはメトロのプラットフォームである。各駅ごとに独自の意匠があり、美意識があるメトロの駅めぐりは、もうそれだけでひとつのパリ体験なのだ。
本稿では、パリ旅の番外編として、こうしたメトロの表情を皮切りに、パリ市内に6つある大きな鉄道ターミナル駅をめぐったり、また普段ガイドブックなどにあまり取り上げられることのない、郊外電車に乗ってみたりした際の写真を掲載する。

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パリ 2014 (5) メニルモンタン [ヨーロッパの町紀行]

メニルモンタン、それはロベール・ドアノーが愛した街であり、あのいとおしい映画「赤い風船」の舞台となった場所でもある。パリ東郊の高台一帯を指し、生粋のパリジャンは少なく、地方や他国からの流入者、比較的貧しい労働者階級の人々の住む街。名所と呼べる場所もおしゃれな店も少なく、観光客向けのガイドブックにはまず載ることのない地味なエリアだが、だからこそなのか、土地っ子のメニルモンタン愛は、人一倍強いのだという。たしかにシャンソンには「メニルモンタン」という名歌(シャルル・トレネ作)があるし、有名なエンターテイナー、モーリス・シュバリエにも「メニルモンタンのマーチ」という楽しい歌がある。

わたしは、今回のパリ旅行ではこの高台の下町、メニルモンタン通りからほど近い場所に宿をとった。たった一週間ではあったが、毎朝私を送り出し、毎晩私を迎え入れ、パリにおける私の「地元」となったこのメニルモンタンをご紹介しよう。

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パリ 2014 (4) モンパルナス / ビュット・オ・カイユ [ヨーロッパの町紀行]

モンパルナスもまた、左岸文化を代表する地域のひとつ。1910年代以降、観光地化され、閉塞感のあった右岸のモンマルトルから多くのアーティスト達がここに移り住んだ。その中心はピカソ、シャガールといった、純粋なフランス人、パリっ子ではない移民アーティスト達であり、既存の概念に縛られない自由な独創性を重んじた人々であった。
その後、パリは世界のアートシーンの先端を行くようになるが、その中心はまぎれもなくモンパルナス。世界中からアポリネール、ミロ、キスリング、藤田嗣治といった貧乏芸術家が集まり、いくつものコミューンをつくり、モンパルナスのカフェに集ってお互いを高め合ったという。こうした動きには、アメリカからやってきた比較的裕福な画商や出版界の名士などがこの地に魅せられ、拠点としたことも少なからず関係があろう。
毎日がお祭りのような当時のモンパルナスの様子は、やはりこの時期アメリカからやってきてモンパルナスに住んだ若きヘミングウェイの著作「移動祝祭日」に克明に記されている。

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パリ 2014 (3) サンジェルマン・デ・プレ / カルチェ・ラタン [ヨーロッパの町紀行]

パリの左岸、それはパリの中でも伝統的に独自の文化的香りを持つエリアである。世間的な既存の価値基準、経済軸、ヒエラルキーからはいい意味で離れた、自由で開放的で、自分自身の価値基準、そしてスタイルをしっかり持っている人が好む地域であるという。その中心は庶民であり学生であり、文化人であり知識人。アナクロニズムとはだいぶ違う。たとえ裕福でなくても、自分を確立して他者と交流し合い、街と人生を謳歌するのが左岸人種なのだ。
今回は、そんな左岸文化を代表するサンジェルマン・デ・プレ界隈と、左岸の精神的シンボルとも言えるソルボンヌ大学を中心としたカルチェ・ラタン周辺をまずは歩いてみた。

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パリ 2014 (2) バスティーユ / サンティエ / モンマルトル [ヨーロッパの町紀行]

パリ市はご存じのとおり市街を流れるセーヌ川によってざっと北側と南側に分けられ、北が右岸、南側が左岸である。そして、右岸と左岸では人々の気質が異なり、したがって街の雰囲気も少し異なっていると言われている。実際には右岸と左岸では右岸のほうが圧倒的に広く、ルーヴル美術館や凱旋門なども右岸側にあってメジャー感があるのに対し、左岸はパリ観光の目玉となる場所は少ない。(だからこそ左岸はいい、という話になるのだが、それは次の(3)で・・・)

本項(2)では、この広くバラエティ豊かな右岸の街の中で、バスティーユ、サンティエ、モンマルトルの3つのエリアをピックアップして歩いてみた。私にとっても今回は3度目のパリ。世界じゅうの人々を集める王道の観光地ではなく、なるべくパリの素顔に触れられる場所を探して歩いてみたつもりだが、その成果やいかに?
エッフェル塔もシャンゼリゼも出てこない右岸散歩だが、しばしお付き合い願いたい。

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パリ 2014 (1) シテ島 / マレ [ヨーロッパの町紀行]

写真をライフワークとする者にとって、パリは永遠の憧れの地のひとつである。ウジェーヌ・アジェ、ブラッサイ、アンリ・カルティエ・ブレッソン、ロベール・ドアノーなど、パリに住み、この街とこの街の人々を撮った歴史的な写真家は数多く、パリを撮ることは写真の基本であり、写真の最も重要なジャンルのひとつであるとさえ言われている。なぜそこまで言うのかと、いぶかる向きもあるだろう。しかし、パリを訪れたことのある人なら分かって頂けるはずである、だって、パリだもの、と。そう言うしかないことを・・

私のパリ入りは今回で3度目である。前2回は、パリが主目的の旅ではなかったこともあり、ろくすっぽ時間がとれなかった。今回は、念願かなっての撮影旅行。5日間、名だたる写真家たちを向こうに回し、私もがっつり写真を撮り歩いた。今回から6回に分けて、その記録をご覧いただきたい。

(1)シテ島 / マレ
(2)バスティーユ / サンティエ / モンマルトル
(3)サンジェルマン・デ・プレ / カルチェ・ラタン
(4)モンパルナス / ビュット・オ・カイユ
(5)メニルモンタン
(6)<番外編>パリの駅と電車

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足利 2015 [日本の町散歩(関東)]

足利もまた、機どころとして栄えた街。桐生がそうであるように、通りを歩けば織物の街ならではの洗練を感じ取ることができるけれど、足利はそれ以上に、清流と緑と史跡の街という印象も強い。清流はもちろん、街のすぐ脇をとうとうと流れる渡良瀬川の清冽な流れ。そして緑は足利学校や鑁阿(ばんな)寺を埋めるように取り囲む木々の緑である。足利の歴史は桐生よりずっと古く、平安時代にまで遡ることができる(これに対し、桐生は近世に一種の計画都市として造られた街という)。足利氏の発祥の地であることは言うまでもなく、中世においては最高学府である足利学校を擁する学園都市として、関東一円から有能な人材を集めた。今以て足利の街が自由で伸びやかな雰囲気を保っているのは、こうした歴史的経緯によるものかもしれない。

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