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長浜 2017 [日本の町散歩(近畿)]

琵琶湖の北東湖畔に位置する長浜は、「街おこし」の成功例のひとつとして名高い。年間の観光客は200万とも300万とも言われる。火付け役となったのは、1988年に設立された第三セクター「黒壁」である。当時、閉鎖された旧百三十銀行の歴史ある建物が取り壊されることとなり、これに危機感を覚えた市役所職員が、地元の民間企業の経営者達に建物の買取と再生事業の開始をもちかけたのだ。彼らは一致団結してお金を出し合い、建物を買い取って保存。その再生にあたって、長浜に新しい産業として「ガラス製作」を取り入れて観光の柱とすることにしたのである。
それは実現した。観光バスが次々とやってきて、降りてきた人々はガラス工房を見学した後、街をぐるりと一周して帰るようになった。一時はシャッターばかりになったさびれた商店街にも、観光客目当ての新しいお店が次々に出店するようになった。

それから30年近くが経った2017年、遅ればせながら私も長浜を歩いてみた。当時の熱気は薄れつつあるとも言われる中の訪問であったが、中高年層のみならず若い女性やカップルが連れ立って古い町並みを散策している。ガラスショップの他にもスタイリッシュな雑貨店やカフェ、レストランが町のあちこちにある長浜の様子は興味深いものであった。

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東急多摩田園都市 2007-15 [日本の町散歩(関東)]

東急多摩田園都市は、文字通り東急グループという民間資本が主体となって開発した城南地区一帯のニュータウンのことであり、現在の東急田園都市線の沿線のうち、梶ヶ谷駅より西を指す。もとよりそれは高度成長期生まれの典型的郊外住宅地であり、歴史的景観も街としてのまとまりもなく、ハワード的な思想ともかけ離れた出来そこないの“田園都市”であったわけだが、それでも次第に「田園都市ライフ」「田園都市マダム」等と言われる確固たる沿線イメージを生み出した。
たとえそれが当初はフィクションであったとしても、「他のニュータウンとはちょっと違う」というひとつのプライドとして住民の間で共有され、ライフスタイルにまで影響を与えた点は特筆されるべきで、イメージは波及し再生産されていく。そうして「フィクション」がどんどん自動的に上書きされ、独り歩きするようになってくると、もはやそれはつくりものではないひとつの文化圏の誕生といっていいように思う。
いまや50万を超える人口を抱えるに至ったこの地域の姿は、ともあれ日本固有とも言われる電鉄的経営思想の一つの集大成であることには間違いない。私は自身も関西の郊外住宅地育ちであることから、この地域のありようには以前から関心を寄せてきたし、実際に3年ほど住んだこともある。現在、郊外住宅地というものが曲がり角にあると言われるなか、改めて数度にわたり撮り歩いてみた。

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岩村 2016 [日本の町散歩(中部)]

岩村は、中央アルプスの最南端、恵那山塊に抱かれた山の町である。名古屋からも快速電車と明知鉄道を乗り継いで1時間半で来られるという手近さだが、歴史的な町並みがしっかりと残されている上に、日本三大山城のひとつである岩村城の城跡もあり、見ごたえのある町だ。戦国期には織田信長の叔母にあたるおつやが一時城主を務めたことから「女城主の里」としても知られる岩村。いまは城壁しか残されていないが、巨大な山城はその城壁をたどるだけでも面白い。
その山城のすぐ下から、流れる落ちる川筋に沿ってなだらかな坂道が続く。その坂道は右も左も、作り物ではない江戸時代からの町並みを残し、今も静かな町民のくらしがそこで営まれている。道筋にはかつての豪商の商家も多数無料開放されているほか、造り酒屋、薬屋、家具屋など現役の老舗も数多く残る。驚くのが「カステラ」を製造販売する店が多いこと。この山合いの小さな町に、西洋渡来のカステラ屋が4軒もあり、覇を競っているのだ。江戸時代、長崎に修行に行った地元の医者がレシピを持ち帰り、町に広まったものという。時代とともに洗練が加えられた長崎のそれとは異なり、岩村のカステラは伝わったがままの素朴な味わい。それが何とも嬉しい。
観光地として決して有名ではない岩村だが、心ある旅人にとっては穴場を探り当てたような、たくさんの楽しみのある町である。

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登米 2016 [日本の町散歩(東北)]

登米、と書いて「とよま」と読む。広域では読み間違えられることが面倒なのか簡単に「とめ」と読ませるが、町の名前はあくまでも「とよま」。北上川の中~下流域にかけての舟運の要として、古くから栄えてきた町には多くのお屋敷や商家建築が残り、「みやぎの明治村」として風情と風格ある一角が形成されている。
しかし私はどうもこの町に対してあまり良い印象は持てなかった。確かに多くの歴史的建築物が散在してはいる。武家屋敷の並ぶ前小路等の風景は見事だ。が、どうも町そのものの鼓動が感じられない。町のしての統一感、まとまりがなく、広域である「登米(とめ)市」の単なる一地区になってしまった印象だ。もっとも閉口したのは、町のど真ん中を東西に突っ切る肝心の大手通りがいまや尋常ならざるダンプ街道になってしまっていることだ。どうしたことか、右からも左からもダンプカーが次から次へとやってきて、地響きとともに通り過ぎて、止むことがない。これでは町の雰囲気も息遣いもなにもあったものではない。聞けばこの県道は、さらに拡幅するのだという。いち旅行者があずかり知らぬ地域の事情があるのかもしれないし、何より歩行者保護のための苦肉の策だろうが、実にまずいことをするものだ。この町は、登米(とめ)市に吸収されて以降、誇りを失ったのかもしれない。

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金山 2016 [日本の町散歩(東北)]

山形新幹線の終点、新庄駅からさらに北へ、バスで揺られること40分。山を越えてたどり着く静かな町、金山(かねやま)は、ほかにどこにもない町である。ここで育った子供達は、大きくなって他の町へ出ればきっと、そのつまらなさ、個性のなさに驚くだろう。そして、わが町金山を、あらためて誇らしく思うに違いない。
金山が「町並み(景観)づくり100年計画」を立ち上げ「新金山町基本構想」を策定したのは昭和58年。そこでは今後、街並みと自然・風景を調和させ、同時に林業等の地場産業の振興や人と自然の共生を図るということが謳われている。
それから30余年。金山は本当に自然の中で自然とともに息づく、 美しい町になった。建物は白壁と切り妻屋根を特徴とする、独特なスタイルのものが多い。山合いの谷間に、周囲の風光と調和していながらも、堂々たる木組みの家々が現れてくる光景は、もはや日本離れした斬新さすら感じさせる。こうした家屋は「金山型住宅」と名付けられ、この地方の風土に根差した在来工法で建てられるほか、地元産の木材がふんだんに使われる。実際のところ新しい住宅ほどこのスタイルで建てられているというから驚きだ。「100年計画」の完成が今から楽しみである。

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真壁 2016 [日本の町散歩(関東)]

真壁は、筑波山のふもとに位置する在郷町である。古くは平安から鎌倉、戦国時代にかけてこの地を支配した真壁氏の城があったとされ、その後も江戸期から明治、大正にかけて、周辺地域の物資の集散地として栄えた。江戸時代の古い町割りがそのまま残っているだけでなく、江戸期建造の書店、明治期の店蔵(醬油店)、大正時代の菓子店、そして昭和初期の洋館建築(郵便局)等、それぞれの時代を語る建物があちこちに散らばっている真壁の街歩きは、モザイク模様をみるような面白さがある。平成23年建築の「真壁伝承館」を我らが平成時代の代表選手として加えても良いだろう。
残念なことに現在の真壁には、鉄道はおろかバスすらも通っておらず、そのせいか知名度の上でもいまひとつだが、関東圏には珍しく、比較的小さい範囲にしっかりと街がまとまっており、前述したような古い老舗がいまだ現役で街のそこここに息づいている点は特筆されるべきことである。広域合併により桜川市が誕生して早10年。バス再開に向けた検証もスタートしたといい、真壁の街は静かに再生の時を待っている。

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酒田 2016 [日本の町散歩(東北)]

最上川の河口に位置する酒田こそは、北前船の出発地として栄えた商業都市。東北各地から集められた米や紅花等が上方や江戸に運ばれ、米取引の中心地として栄えた酒田には、富裕な大商人たちが次々と登場して街を潤した。江戸へ出るには峻厳な山々を越えなければならないこれらの地方は、北前船との交易を通して、江戸よりもむしろ上方から多くの文化的影響を受けたり、逆に与えたりしたに違いない。今のこの地方の風土・気質に、どこか関西ふうな陽気さがあるのはこうした歴史的な歴史的な背景によるものかもしれないし、いずれにしても酒田はそれらの文化の混ざり合う中継地でもあった。
残念ながら市の中心部は昭和51年の大火ですっかり装いを変えてしまい、街歩きの面白みは減じたが、本間家や鐙屋といった廻船問屋の邸宅はいまもそのまま残っているし、街の西側に位置する日和山公園のふもとの一帯には、いまも料亭や小料理屋が残る界隈があり、どこか京都の祇園を思わせる雅趣を感じさせる。明治時代創建の木造の食料倉庫も、現役で使われている。平成の現在でも酒田港は、日本海側有数の国際貿易港であり、外国船が出入りすることも多いそうだ。

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長井 2016 [日本の町散歩(東北)]

最上川の河口にある酒田から北前船が出て、さかんに京・大坂との交易を行ったことはよく知られているが、この北前船、酒田からさらに最上川をさかのぼり、流域にある多くの町々とも直接交易を行っていたという。
そのうち、最も上流にあった町が長井である。最上川河口からさかのぼること170km、北前船はここまでやってきた。長井の最上川畔にはふたつの船着き場が出来、長井は「山の港町」としてたいへん栄えたという。

現在の長井は、観光ガイドにも取り上げられず、街並み保存という面でも名前が挙がることは少ない。確かに中心市街地の衰退は著しく、連続した町並みは期待できないが、歩いてみるとそうした中に意外に多くの商家建築が残っていることに驚かされる。点在する豪商たちの住まいを訪ね歩けば、往時のこの街の繁栄を十分しのぶことができるし、味噌、醬油、酒等の昔ながらの蔵や、伝統産業の織物(紬)などの名産品がまだまだ現役なのも特筆すべきことだ。それだけではない。町には四方八方の山々から、最上川へと流れ込む水が集まる。これらの水路が悠久の昔から町に張り巡らされ、いまも清冽な流れをいっぱいにたたえて町じゅうを潤している様子がなんとも心地よく、かけがえのないこの街の財産となっている。

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会津田島 2016 [日本の町散歩(東北)]

会津は喜多方の方に知人を訪ねた時のこと。普通は郡山まで新幹線で行き、そこから磐越西線に乗るのだろうが、なんだか昔の旅人のように、その道中、何てことない街道の旅籠で一泊して・・・というような旅がしたくなった。
調べてみると、会津にはなんと東武鉄道→野岩鉄道→会津鉄道と、私鉄を乗り継いで行く方法がある。始発の浅草から最速の特急等でも4時間半、快速や鈍行だけの乗り継ぎだと合計で7~8時間かかるが、酔狂旅行にはちょうど良い。中継ぎの宿泊地は、野岩鉄道から会津鉄道への乗り換え駅でもある会津田島に決めた。その昔、下野(栃木)と会津を結ぶ西会津街道随一の宿場であったという田島。いまも南会津地方の中心となる高原の町だが、名所旧跡等が多いわけでもなく、古き良き町並みが残されている訳でもなく、観光ガイド等には全くというほど登場しない、まさに「何てことない町」・・・。そんなふうに高をくくって訪れたこの会津田島が、こんなにも印象に残る街だったとは、今もって不思議である。

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松崎 2016 [日本の町散歩(中部)]

西伊豆の小さな港町、松崎に吹く風はとても心地が良い。三方を山に囲まれた静かな入り江、明るい漁港、美しい砂浜の海岸線。ゆるゆると流れる川辺には、昔ながらの風情を残す鄙びた路地が続いている。単なる漁師町ではなく、西伊豆地方の中心地として物資が集散した場所であり、それだけに多くの商家建築が残されているも嬉しい。この地域の特色のひとつであるいわゆる「なまこ壁」を残す建物も多く、それらを見て歩くのも楽しみのひとつ。さらに、松崎の生んだ名工、入江長八の漆喰鏝絵の数々をナマで見られるのも嬉しい。巧みに芸術性を盛り込みながらも、あくまでも実用本位の、左官としての職人芸がベースとなったその至芸こそ、松崎という素朴で伸びやかな町の性格をよく現わしているのではないかと思われる。これでもう少し、街に活気があれば云う事はないのだが・・

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栃尾 2016 [日本の町散歩(中部)]

「栃尾」という地名を聞いただけで、その名物がすぐに思いつく人は、かなりの玄人である。あなたはどうだろうか。栃尾というと・・・油揚げ! そう答えるなら、あなたはかなりのグルメか、飲ん兵衛であろう。最近は東京の居酒屋等でも一部定番メニュー化しつつあるからご存じの人もいるだろうが、栃尾にはなぜか通常の三倍はあると思われるジャンボ油揚げを供する豆腐店が沢山あって、知る人ぞ知る名物になっているのだ。私が、観光地としてはほぼ無名と思われた栃尾を訪ねたのは、この油揚げの食べ歩きを狙ってのことだったが、実は栃尾には町並み的にも日本屈指の名物をいまなお残している。それは、雁木。豪雪地帯ではかつて良く見られた、いわゆる歩道のアーケードである。青森なら「こみせ」と云ったが、信越地方では「雁木」。他の大都市ではどんどん消えているが、総延長4.3キロにも及んで残る雁木こそが、栃尾の誇る偉大なる遺産であり、少しずつ修復も進んでいる。私が栃尾を訪ねたのはあいにくの雨天の中だったが、それでもここが、実に味わい深い、興味の尽きない街であることはよく分かった。

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下諏訪 2016 [日本の町散歩(中部)]

梅雨に入り、曇りや小雨の日が続くようになると撮影に出かけようとするモチベーションも下がってしまう。かつて鎌倉の地を雨の中撮り歩いたことがあったが、どこかほかにも灰色の雲の下で映える街はないものだろうか。。そんなふうに思いあぐねて、何となく「いいんじゃないか」と予感して曇天のもと訪ねたのが、下諏訪であった。
諏訪湖畔には上諏訪と下諏訪という二つの温泉街がある。大型ホテルや温泉施設が並ぶ上諏訪と異なり、下諏訪はかつての宿場町の面影をたっぷりと残す、昔ながらの温泉街であるという。「しもすわ」という響きも落ち着いていて心地よい。そんな穏やかな町なら曇り空でも、いや曇り空だからこそ見えてくる奥ゆかしき風情があるかもしれないと期待をかけて、街をあるいてみた。

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井の頭線 ~アジサイの頃 2011 [日本の町散歩(関東)]

一般的な郊外電車の中で、京王井の頭線ほど個性をしっかり持ち、沿線住民からマスコット的な愛着を持たれている路線も少ないだろう。距離が短く、どことも相互直通をしていないことが、逆に路線の個性を際立てせているし、電車のカラーが七色(七種類ある)というのもカワイイではないか。
そんな井の頭線の特徴のひとつが、なぜか沿線にやたらとアジサイが多く植えられていること。梅雨のころになると、それこそ曇り空の中、多種多様の色のアジサイが線路わきに咲き乱れており、電車のステンレス+パステル調のカラーリングと妙にマッチして楽しいのだ。
私個人にとっても、大学キャンパスが沿線にあったため、井の頭線は青春の大切な記憶と分かち難く結びついている。追憶も込めて一度きちんと撮影しておこうと思っていたが、結局一度、出掛けたきりで中途半端になってしまった。

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東京~都電とその周辺(西ヶ原、庚申塚、向原、雑司ヶ谷) 2013 [日本の町散歩(関東)]

ヒューマンサイズの乗り物がある街はいい。そこは人が下駄履きでうろうろできる街だからだ。自分の家と、街と、それらを結び合わせる乗り物との間に境界がない、あるいは境界があいまいであるというのは、人と街とが同じ息づかいをしているということだろう。すなわち、住みよい街、すぐれた街ということになる。
東京でも、都電荒川線の走っているエリアでは、人々はとりわけ等身大の暮らしをしているように思える。今回は、どちらかというと都電そのものにフォーカスを当てているが、近いうちにそうした街の息ぶきを、改めてとらえてみたいと思う。
なお、向原から鬼子母神前にかけては、こうした街と人と、そして都電の関係を、すべてぶちこわそうとする工事が、残念ながら他ならぬ東京都によって進められている。

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東京<椎名町> 2010~2016 [日本の町散歩(関東)]

わが街、椎名町。2010年からここに住み始めてかれこれ7年になる。自慢じゃないが、私はかれこれ20回程度引っ越しをし、それと同じ数だけの街に住んできた。どの街も捨てがたい、その街ならではの良さがあったがしかし、椎名町ほど私の肌によくなじみ、住んでいて飽きの来ない街は初めてである。2013年に私は縁あって結婚したが、結婚してからもこの街を離れることができず、二人で住んでいる。
西武線に乗って池袋からわずかひと駅。サンシャインやメトロポリタンを間近に感じながらも、ここは一転、古アパートが並ぶ、普段着にサンダル履きの下町である。かといって台東、江東の下町のような江戸っ子気質的な狭量な雰囲気もなければ、板橋の下町のような不良少年的チャキチャキさもない。都心近くにありながら、若者が多いわけでもなく、至って特徴のない日々つつがない日常が当たり前のように繰り返されるだけの穏やかなこの街は、だからこそ離れがたく、もはや自分の体の一部のようにも感じられるほどに、何気ないのである。

だが何事にも終わりがある。2016年、ついにこの街を離れなければならない時がきた。これを機に、今まで少しずつ撮って来た自宅周辺の町並み写真を、ここでほぼ撮影時期順にまとめておきたいと思う。

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東京<目白> 2016 [日本の町散歩(関東)]

目白は隣町である。東京には都心を少し離れたところにセレブタウンがいくつかあるが、駅前に学習院がある目白もその一つ。通りにはチェーン店も増えてきたが、それとなく洒落た店も点在する。肩肘はったところやトンがったところがないのが目白の魅力。良くも悪くも、大人の街である。
私は椎名町での下町生活を愛しているが、たまにはハイ・ブロウな風に吹かれてみたくなる。そんな時は、眼と鼻の先にある目白界隈をうろつくことにしている。29ある山手線の駅の中で、他の線との接続や乗り換えがないのは新大久保と、この目白だけ。基本的には地元民の為の街であるということが、街に落ち着きを与えているのであろう。

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黒石 2016 [日本の町散歩(東北)]

弘前から直線距離で15キロ、郊外電車に揺られてわずか30分の距離にあるのが黒石。弘前に本藩があった津軽藩の支藩が置かれた地であり、弘前同様に「こみせ」もあれば「ねぷた」もあるという、まさに弘前とは兄弟のような関係の町である。「こみせ」は雪深い地方ならではの、歩道に設けられたアーケードのことであるが、弘前のそれがいかにも現代的なのに対し、黒石の「こみせ」はズバリ、江戸時代からのもの。まとまった形でそれが残っているのは、全国的にも黒石のみという貴重さである。
古めかしい木造のアーケードが続く風景を求めて、弘前からのプチトリップを敢行した。

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弘前 2016 [日本の町散歩(東北)]

弘前は云わずと知れた津軽地方の中心都市。だが、この街がこんなに垢抜けた、すがすがしい都会であるとは、正直想像していなかった。
もとは津軽藩の城下町であった弘前ゆえ、もちろん弘前城や武家屋敷群が観光の目玉である訳だが、明治、大正期に建てられた多数の洋館が今なお残るのもまた、弘前の魅力である。
明治以降は東奥義塾の設立をはじめ、学術文化の都を目指して外国人教師を多数招聘した弘前。どこかオープンで進歩的な風が、ずっと時代がくだった今も、なお弘前の町を包んでいるように思われる。洋館めぐりの楽しさもさることながら、フランス料理店やカフェの多さはすでに良く知られているし、街ゆく人のファッションにもこの地ならではの洗練が感じられる。
そして、空を見上げればどこからでも見える、たおやかな岩木山。漂ってくる、ほのかなりんごの花の香り。
こんな弘前を私が歩いたのは、五月の良く晴れた日であった。

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太海 / 和田浦 2016 [日本の町散歩(関東)]

房総は東京という地球有数のメガトンシティーに隣接する地域だけに、ワイキキのような巨大ホテルが立ち並ぶ都会派リゾート地帯なのであろうと勝手に想像していた。だから、実際の房総がこんなにも、寂しいくらいに鄙びているのを目にして私はすっかり魅了されてしまい、もっといくつも海辺の町を訪ねてみたくなった。

そんな私が次に選んだのが、太海と和田(和田浦)という小さな二つの町。いずれも館山と安房鴨川の二つの大きな町の間に挟まれた、交通の便のあまり良くないあたりにある。太海は、安房鴨川からひと駅西に行っただけなのにがらりと雰囲気が変わり、素のままの、ある意味隔絶された海のくらしが垣間見える、別天地のような場所だ。和田浦は今でも捕鯨が行われている数少ない基地(全国で5か所だそうだ)のひとつ。町ではもちろん鯨料理が名物だ。

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千倉 2016 [日本の町散歩(関東)]

東京に住んでいて、ふらりと海を見たくなったらまず鎌倉や葉山や湘南に行く。明らかに都会の延長にあるそんな海が鼻につくような時は、三浦半島の先のほうに逃げたりするし、伊豆だって悪くない。でも、それでも癒されない、もっと素のままの海と風とに相対したい。そんな時は房総が良いと聞いた。

千倉は、房総半島の南端近くにある海辺の町。房総はさすがに広く、ここまで来るには東京から2時間以上。花畑の丘に囲まれ、ぽかぽかと暖かな薫風の中、どこまでも続いていく穏やかな海岸線、漁港、鄙びた町並み。それでもかすかに感じる、嫌みのない都会の香りが千倉の良さだ。
道はもちろん海に近く、ずっと南へ続いている。さわやかな青空に恵まれた春の午後、駅で借りた自転車で、どこまでも走ってゆく。

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三春 2016 [日本の町散歩(東北)]

梅、桃、桜の三つの「春」が一緒に来る町だから「三春」・・・そんな町の名前は出来すぎ、というかちょっとあざとい気もするが、そうは云ってもそんな名前に私もつい魅かれて、いつか行ってみたいとつねづね思っていた。
それは戦国時代から続く、わずか三万石の、山あいの小さな城下町。郊外にある樹齢1000年以上という天然記念物の「三春の滝桜」が全国的に有名だが、それだけでなく、春になると三春の街全体が桜に包まれるという。そんな三春の町を、まさに春らんまんの時期に訪ねることができたのは幸運であった。

それでは、私のしがない成果を、ご覧頂こうと思う。
(滝桜は、町から離れている為、撮影していませんので、あしからず)

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下田 2016 [日本の町散歩(中部)]

この年になるまで、伊豆半島に足を踏み入れたことが無かった。東京から「スーパービュー踊り子」等の特急列車が頻繁に乗り入れている伊豆は、関東人の為の華やかなリゾート地、というイメージ。関西出身の私には、なんとなく敬遠されるにおいが、そこにはあったのだ。
しかし、その関東からもうすぐ離れなければならなくなった2016年の春。私はやおら伊豆に行きたくなった。まだ東京では三寒四温の日々が続く三月、私は南風に誘われて伊豆急行線に乗り、終点の下田まで来てしまった。伊豆半島の先端近くに位置する下田は、黒船に乗ったペリーが来航し、幕末開港の舞台となった、歴史の上でも重要な場所であるが、訪ねてみるとそこは、たおやかな春の風と、素朴なやさしい人情が迎えてくれる、小さくて気持ちの良い港町であった。よくよく考えれば伊豆はもう関東ではなく静岡県なのだ。

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撮影機材変更のお知らせ [日々のよしなしごと]

2016年撮影分より、主たる撮影機材を以下のとおり変更致しました。

(これまでの機材)
メイン機: NIKON FM3A フィルム:PROVIA100F
サブ機: RICOH GRD

(今後の機材)
NIKON D800E

私はその場の空気感を大切にした撮影を行いたく、これまでフィルムで撮影するということにこだわって参りましたが、昨今のフィルム価格および現像価格の高騰に対し、ついに音を上げる形となってしまいました。
ついてはメイン機の一部機能が故障致しましたことを機会として2016年初旬、NIKON D800E中古機を購入致しましたので、これ以降は当該デジタルカメラでの撮影が主となりますことをお知らせします。

今後とも、その場の空気感を伝わる写真撮影を心掛けてまいりますので、何卒よろしくお願い申し上げます。


結城 2015 [日本の町散歩(関東)]

結城という町の名前は、小学校のころから知っていた。今でも小学生たちは「結城紬」を学ぶのだろうか。日本の重要文化財である、伝統工芸品の最高級絹織物。それがどんなものかは知らなくても、「ゆうきつむぎ」という語感の美しさは大人になった今も覚えている。そして今回、ふらりとその結城という町にやって来た。
思いのほか沢山の店蔵が健在で、関東圏の町としてはちょっと意外なくらいに味わい深い町並みが残っている。そして大切なことは、そんな町並みが現役の「町」として今もきちんと機能していて、いきいきしたものが感じられることである。数は減ったとはいえ、結城には今も紬の工房や問屋がいくつも残っていて、それがこの町を産業的にも精神的にも、いまだしっかりと自立せしめているように思われた。

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龍野 2015 [日本の町散歩(近畿)]

「夕焼け小焼けの赤とんぼ、負われて見たのはいつの日か・・・♪」とは誰もが知っている童謡である。作詞者である三木露風は、赤とんぼが舞い飛ぶ、風光豊かな故郷で過ごした幼少期への思慕の念をこの歌に託したという。そしてその三木露風の故郷が、この播州龍野の街である。
清流として知られる揖保川がゆるやかに流れる傍ら、小高い丘に抱かれた小さな城下町は、いまも「赤とんぼの故郷」と云いたくなるような古い城跡と町並みを残し、静かな詩情に包まれている。
しかし、この町においてそれ以上に特筆すべきことは、ここが「淡口(うすくち)醬油」やそうめんの「揖保の糸」といった全国区の名産品やブランドを生み出し、産業化に成功した町であるという点である。うすくちしょうゆの一見はんなり、実はシッカリという味わいの妙は、そのまま龍野という街の特性なのかもしれない。

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益子 2015 [日本の町散歩(関東)]

益子焼の美しさは、土に根差した素朴さの中に、用の美を含んでいることであろう。特別な器ではなく、いつもの日常生活に、土と人肌のぬくもりを伝えてくれる器の数々は、洗練という点からは私の好みと少し違うのだけれど、つい今夜もこれで、と気安く手を伸ばしたくなる人懐っこい魅力があり、我が家の食卓に登場する頻度は最も高い。
そんな益子焼のふるさとをふと訪ねてみたくなった。東京から電車を乗り継いで1時間少々、真岡鉄道というローカル鉄道に揺られて案外あっさりと益子駅に到着である。

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富士吉田 2015 [日本の町散歩(中部)]

いうまでもなく、富士山は日本人の心のよりどころであるが、その表情は見る場所によって少しずつ異なるように思う。南側、静岡側から見るといつもたおやかな印象だが、北側、山梨側から見る富士は、より陰影に富み、怒っているような、苦悩しているような、どこか近づき難い、複雑な表情を感じさせる。そんな山梨側の中腹に抱かれた大きな町が、富士吉田である。
何百年の前から富士山信仰の聖地であり宿坊が連なった「上吉田」地区と、昭和の時代に織物産業で栄えた盛り場「下吉田」地区。二つの異なった個性持つ富士吉田であるが、近年大挙して富士に押し寄せる外国人集団も、この街を顧みることはあまりないのだろうか。
ようやく秋めいてきた9月終わりに訪ねてみた富士吉田の街は、ひと気もなく、斜陽の中で静かに時を刻み続けているように見えた。

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湯浅 2015 [日本の町散歩(近畿)]

わたしは、日本の良さを残す町並みを求めてあちこち小さな町に出掛けているが、この湯浅ほど居心地が良く、その雰囲気にどっぷり浸かってみたくなるところは初めてである。伝統的な町並みが良く残っているという点なら、他にも右に出る場所はたくさんあろう。しかしそんな無理やり保存されたような町並みは、現代の市民生活から浮いてしまってテーマパーク然とし、町としては生きている感じがしないことも多い。
湯浅もずいぶん寂しくなったと言うけれど、駅を降りて町を歩くと、自転車に乗った危なっかしいジイサンが通りを横切り、ランドセルをしょった子供達が路地を駈けていく。道を尋ねれば人々は穏やかで優しく、品がある。そして、どこからともなく漂ってくる、醬油のもろみの香り。。。いたずらに古い町並みを強調されているわけではなく、伝建地区には町の一部が指定されているだけ。そこでさえも、電柱の地中化すらされていない。町には江戸から昭和にかけての街の歴史の積み重ねが、ありのままの姿で残されている。それがなぜか、とても好ましいことのように思えてくる。
町そのもののが持つ香気がほんのり立ち昇る、こんな町の息吹の中にただ抱かれて、どこも行かず何もせず何日かぼーっとしてみるのもまた、ニッポンの良きリゾートかもしれないと思う。

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加太 2015 [日本の町散歩(近畿)]

加太(かだ)といっても、全国的には知る人は少ない。しかし、大阪から湾岸沿いに南下し、紀淡海峡に突き出した岬を越えて南紀側、黒潮の流れる太平洋側に出たところにある小さな漁港町であるというと、ピンとくる人はいるのではないか。そう、地形条件からしても、加太は関西でも指折りの、美味い魚が釣れ、そして食える町なのである。とくに、年間を通して獲れる天然真鯛の美味さは全国屈指と云われるほどなのだが、いかんせん関西人からしても、地味な場所という印象は拭えない。関東には、マグロ料理で賑わう三崎があるし、湘南から三浦にかけても生シラスを求めて行列のできる腰越や小坪といった場所がある。加太は大阪からも近い立地にあり、みさき公園あたりから加太にかけての半島部分なんか、逗子~葉山あたりの感じに似ていないかしら・・・・、加太が関東の三崎や葉山みたいになればいいなあ・・等と思いながら、改めてじっくり街を歩いてみることにした。

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マウイ島 2015 ~ (2) パイアとマカワオ [ハワイ紀行/オーストラリア紀行]

マウイで最もマウイらしい町がパイアだと思う。島の北岸を東西に走るハナ・ハイウェイとそこから分岐しアップカントリー方面へ登ってゆくボールドウィンアヴェニューとのT字路を中心に広がる町は決して大きくないが、並ぶお店のどれもがおしゃれで個性的なのに驚く。ラハイナのように観光客相手に楽しませようとするのではなく、まずは自分が良いと思ったものだけをお店に並べるということに徹している。しかしより大事だと思うのは、その店主たちの生き方、暮らし方が素敵だからこそ、そのどれもが洗練されて輝くのだろうな、ということ。こういうのは、マイペースとは言わず、「ダウン・トゥ・アース」というらしい。周りの時間と空間とに自らを調和させ、地に足を付けて無理なく無駄なく暮らす、そしてそんな生き方を楽しむ、そういうスピリットをビンビンに感じる町なのだ。そしてそれはマウイ全体のスピリットでもあると思う。
パイアからアップカントリーへ登って行ったところにあるマカワオにも、同じことが言える。パイアよりもさらに小さな町だが、内容は濃い。パイアがやや若者寄りのフレッシュ感に満ちているのに対し、マカワオはもう少し大人びていて、私のようなオジサンでも落ち着いてお店を見て歩けるのがなんとも嬉しい。

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パイアにて

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